少女革命ウテナ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=134359 / CC BY SA 3.0

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『少女革命ウテナ』(しょうじょかくめいウテナ)は、J.C.STAFF制作のアニメ作品。
テレビシリーズとして1997年4月2日から同年12月24日までテレビ東京系列で放送された。
全39話。
『美少女戦士セーラームーン』シリーズのメインスタッフだった幾原邦彦が少数精鋭のスタッフを集めて制作集団ビーパパスを結成、少女漫画家さいとうちほと組んで世に放った異色作。
第2回アニメーション神戸テレビ番組の部最優秀賞受賞。
男装の麗人、書き割りの様な背景、影絵の少女達による不可思議な劇中劇など、宝塚歌劇と前衛舞台劇を折衷したような徹底したアバンギャルドな演出が特徴。
また、学園といった閉鎖世界や薔薇や王子様といった少女漫画的モチーフを中心に、おとぎ話や古の貴族のような決闘、同性愛や近親愛まで多くの要素を扱い、かつ哲学的な言辞と象徴や図式を大小に首尾一貫してちりばめている。
合唱曲「絶対運命黙示録」など、かつて寺山修司率いる「天井桟敷」で音楽を担当していたJ・A・シーザーのアンダーグラウンド的楽曲を採用した事も、独特の世界観を作り上げる大きな要因となった。
押井守監督の『天使のたまご』を彷彿とさせるフレーズが作中にあり、第27話「七実の卵」は影響が顕著に表れている。
ビーパパス(Bepapas)は幾原邦彦がオリジナル作品制作のために作ったチームで、その名前は「大人になろう」の意。
従来は著作者として認められることがほとんどなかったアニメーションの制作スタッフが原作者の立場で表に立つことも目的としていた。
当初の企画として最初に形になったものはコアターゲットを狙ったOVAで、主人公の名前はウテナ、敵の名前は「世界の果て」であった。
この頃、幾原は「世界の果て」という言葉を絶望という意味でよく口にしたという。
しかし幾原がさいとうちほの作品と出会うことで、この企画はより一般向けのテレビシリーズを志向するようになる。
さいとうにキャラクター原案を依頼した時点での作品名は「少女革命ウテナKiss」で、主人公が誰かとキスすることで男装の美少女へ変身するというもの。
玩具メーカーをスポンサーに想定した子供向けアニメである。
幾原はウテナとアンシーを親密な仲にする構想を持っていたが、さいとうは少女漫画家としての自負から、視聴者である少女が望むものではないとその構想を強く否定、このショックで幾原は急性胃腸炎を起こしたという。
ただし、放送終了後の座談会でさいとうは、ビーパパスの影響で同性愛的なものを肯定するようになったと心境の変化を語っている。
また榎戸洋司は、主人公の天上ウテナのモデルはさいとうちほであり、ウテナに目指してほしかったものは、さいとうちほが目指すような、安っぽい道徳とは逆の人間性の高さ、セクシュアリティの高さであると述べている。
その後、キングレコードの大月俊倫プロデューサーの目に留まることで企画はより本格的な制作体制に移り、また大幅な変更が行なわれて最終的な形になっていった。
作品には監督である幾原の作家性が色濃く出ているが、他のスタッフもまた自発的に様々なアイディアを投入している。
例えば、影絵少女は幾原ではなく、シリーズ構成の榎戸洋司の発案である。
生徒会室内で様々な演出が行なわれるようになったのは、第5話で錦織博が林檎をウサギに変えたことが機であるという。
橋本カツヨはこれを、たった2枚の絵で、世界を革命するという行為の本質を暗示して見せる演出だと高く評価している。
同じく第5話で桐生冬芽の胸をはだけさせたのも錦織である。
この後、スタッフ個々によるキャラクターの露出合戦がエスカレートしていった。
美術監督を務めた小林七郎は当時64歳(放送開始時)の大ベテランである。
幾原監督は理詰めでなくイメージを重視した指示を出し、例えばアーチを描くにしてもその先にあるはずの建物などを描かせず、向こう側に真っ白な空を描かせたという。
その衝撃はかつて小林が共に仕事をした出﨑統と似た感覚で、そのような発想の飛躍は自分にはないものであり、いい刺激になったと語っている。
また建物の大半をデザインした長濱博史についても、その重力や力学を無視した自由な発想に小林はショックを受け、その良い部分を生かすようにしたとのことである。
テレビアニメ放送時にさまざまな…

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