フェリペ・バスケス, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2930015 / CC BY SA 3.0

#ベネズエラの野球選手
#在アメリカ合衆国ベネズエラ人の野球選手
#タンパベイ・レイズ傘下の選手
#ワシントン・ナショナルズ傘下の選手
#ワシントン・ナショナルズの選手
#ピッツバーグ・パイレーツの選手
#オールスター・フューチャーズゲーム選出選手
#MLBオールスターゲーム選出選手
#ヤラクイ州出身の人物
#1991年生
フェリペ・ハビアー・バスケス(Felipe Javier Vázquez, 1991年7月25日 – )は、ベネズエラ・ヤラクイ州サン・フェリペ出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
MLBのピッツバーグ・パイレーツ所属。
2018年4月まで本名をフェリペ・リベロ(Felipe Rivero)としていた。
2008年7月30日にタンパベイ・レイズと契約してプロ入り。
2009年に傘下のルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・レイズでプロデビュー。
16試合に登板して6勝4敗1セーブ、防御率3.74、25奪三振を記録した。
2010年もルーキー級ベネズエラン・サマーリーグでプレーし、14試合(先発9試合)に登板して3勝3敗2セーブ、防御率2.09、44奪三振を記録した。
2011年からは渡米し、この年はアパラチアンリーグのルーキー級プリンストン・レイズでプレーした。
14試合(先発12試合)に登板して3勝3敗、防御率4.62、57奪三振を記録した。
2012年はA級ボーリンググリーン・ホットロッズでプレーし、27試合(先発21試合)に登板して8勝8敗、防御率3.41、98奪三振を記録した。
同年のオールスター・フューチャーズゲームに選出された。
オフの11月20日に40人枠入りを果たした。
2013年はA+級シャーロット・ストーンクラブズでプレーし、25試合(先発23試合)に登板して9勝7敗、防御率3.40、91奪三振を記録した。
ワシントン・ナショナルズ時代 (2015年4月17日) 2014年2月13日にネイサン・カーンズとのトレードで、ホセ・ロバトン、ドリュー・ベッテルソンと共にワシントン・ナショナルズへ移籍した。
2014年は傘下のAA級ハリスバーグ・セネターズで開幕を迎えたが、調整のために一時的にルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズとA級ヘイガーズタウン・サンズに降格となった。
3球団合計で14試合に先発登板して2勝7敗、防御率3.35、50奪三振を記録した。
2015年は開幕をAAA級シラキュース・チーフスで迎えた。
4月16日にメジャー初昇格を果たし、翌17日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビュー。
この年はルーキーながら49試合でマウンドに登り、防御率2.79、WHIP0.95という好成績をマーク。
抑えで投げる機会もあって2セーブを挙げ、新人らしからぬピッチングでブルペンの一角を支えた。
2016年はリリーフ陣の主力の1人として起用され、チームを出るまでに47試合に登板。
ただ、0勝3敗1セーブ、防御率4.53、WHIP1.17という成績で、防御率が上がって敗戦が先行した。
なお、49.2イニングで53奪三振を記録して(奪三振率9.6)、狙って三振を取れる能力を見せた。
2016年7月30日にマーク・マランソンとのトレードで、テイラー・ハーンと共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍した。
パイレーツ加入後は28試合にリリーフ登板して1勝3敗、防御率3.29、WHIP1.50を記録。
移籍前にナショナルズで花開いた三振奪取能力では、奪三振率12.8をマークしたが、他方で四球を出す頻度も急激に高まって与四球率5.9を記録した。
また、ナショナルズとの合算成績は、リーグ8位タイの75試合のリリーフ登板で防御率4.09・1勝6敗1セーブ・WHIP1.29・与四球率3.9・奪三振率10.8という内容だった。
2017年は中継ぎとして素晴らしい成績を収め、シーズン途中からクローザーを任された。
オールスターにも初選出された。
73試合登板で5勝3敗21セーブ、防御率1.67、WHIP0.89と自己最高の成績を挙げた。
2018年1月17日、2021年までの4年総額2200万ドルで契約延長した(2022年・2023年はそれぞれ1000万ドルの球団側オプション)。
2018年シーズン開幕直後の4月10日、登録名ではなく本名を「フェリペ・バスケス」に改名したと報道された。
「バスケス」は姉(あるいは妹)であるプレシラの姓だという。
その際に「僕の名前が入ったもの(レプリカユニフォームを指していると思…

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