松井雅人, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1918152 / CC BY SA 3.0

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#上武大学硬式野球部の選手
#中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手
#オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手
#群馬県出身の人物
#1987年生
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松井 雅人(まつい まさと、1987年11月19日 – )は、群馬県前橋市出身のプロ野球選手(捕手)。
右投左打。
オリックス・バファローズ所属。
愛称は「みやび」。
小学校2年で地元の軟式野球チーム粕川リトルタイガースで野球を始め、中学校までは投手だった。
なお、小学校1年から6年までは柔道の経験もある。
桐生第一高等学校で捕手に転向、第76回選抜高等学校野球大会、第86回全国高等学校野球選手権大会に出場する。
同期には後にオリックスでもチームメイトになる小島脩平がいる。
上武大学へ進学し、左打ちに。
同期の安達了一と共に明治神宮大会では上武大初の準優勝に貢献。
2009年のドラフト会議で中日から7位指名を受け入団。
背番号は47。
同期入団で同姓の松井佑介がいるためスコアボード等の表記は「松井雅」と表記されていた。
2010年、ルーキーながら谷繁元信・小山桂司に次ぐ、第三の捕手として開幕一軍入りを果たし、3月30日の東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初安打を放ったが、このシーズンの安打はこの1本のみだった。
2011年10月14日の読売ジャイアンツ戦では捕手で先発出場し、プロ初先発のルーキー大野雄大をリードした。
2012年は、一軍での出場は4試合に終わった。
2013年は45試合に出場。
7月25日の横浜DeNAベイスターズ戦では代走で出場すると、高木守道監督が一塁を守れる野手を使いきっていたため、そのまま学生時代を通じても一度も経験のない一塁手の守備に就いた。
2014年から背番号を38に変更。
同年7月10日のヤクルト戦(神宮)では、7回から守備に入り、9回表に江村将也からプロ初本塁打を放った。
このシーズン、捕手としては選手兼任監督となった谷繁元信に次ぐ67試合の出場を果たした。
2015年は開幕スタメンに名を連ねたが、打率が.135に終わり正捕手定着とはならず、打撃に大きな課題を残し51試合の出場に終わった。
2016年はわずか4試合の出場に留まり、シーズンを通して二軍暮らしが続いた。
2017年開幕一軍こそならなかったものの、一軍合流後は、前年好調だった杉山翔大の不調により出場機会が増加した。
6月9日のオリックス戦で、相手チームのクリス・マレーロが左中間を越える打球を放って「本塁打」としてダイヤモンドを一周した際に本塁を空過したことに気付いて審判にアピールし、マレーロの本塁打は取り消されて三塁打となったということがあった。
マレーロが翌日の中日戦で本塁打を打って松井の眼前にて両足で本塁ベースを踏んだということも注目されて、「時の人」となったという(「空過」についての詳細はクリス・マレーロ参照)。
2018年はFA移籍の大野奨太と正捕手を争い、シーズン中盤からはスタメンに定着し、最終的にはチーム最多となる92試合、うち先発72試合に出場した。
前年同様の打撃を見せたが、守備の面では盗塁阻止率がリーグ最下位の.170に留まり、正捕手定着へ課題を残した。
11月10日、現状維持の年俸2000万円で契約更改した。
2019年は加藤匠馬の台頭により出場機会が減少した。
5月下旬に右足関節三角骨障害のため離脱したが、復帰後は控え捕手としてベンチ入りしている。
2019年6月30日、武田健吾、松葉貴大との交換トレードで松井佑介と共にオリックス・バファローズに移籍した。
背番号は33。
引き続きスコアボード等には「松井雅」と表記。
アマチュア時代の同期である小島、安達と再びチームメイトになった。
移籍後は即1軍に合流すると、山岡泰輔の先発登板時にスタメンマスクを被るなど24試合に出場した。
2020年、 開幕から一軍に帯同していたが、7月2日に出血性胃炎のため1軍を外れる。
その後7月14日に復帰した。
腰痛に苦しんで23試合出場に留まった。
国内FA権を取得したが行使せずに残留し、12月11日に年俸2500万円(300万円減)で契約更改した。
インサイドワークに定評がある捕手。
一方で、打撃を課題としている。
ドラフト同期であり、同学年で同姓の松井佑介とのコンビは「W松井」と呼ばれた。
自身の闘争心を高めるために任侠映画を見ることがあるという。

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