フランシスコ・コルデロ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=835729 / CC BY SA 3.0

#ドミニカ共和国の野球選手
#デトロイト・タイガースの選手
#テキサス・レンジャーズ及びその前身球団の選手
#ミルウォーキー・ブルワーズの選手
#シンシナティ・レッズの選手
#トロント・ブルージェイズの選手
#ヒューストン・アストロズの選手
#サントドミンゴ出身の人物
#1975年生
#存命人物
フランシスコ・ハビエル・コルデロ(Francisco Javier Cordero, 1975年5月11日 – )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(投手)。
右投右打。
日本語メディアではフランシスコ・コーデロと表記されることもある。
従兄弟は西武ライオンズと読売ジャイアンツでプレーしたドミンゴ・マルティネスである。
現役時代は2000年代後半にシンシナティ・レッズなどでクローザーとして活躍、通算329セーブを挙げた。
1994年にドラフト外でデトロイト・タイガースに入団。
その後、5年間をタイカース傘下のマイナー球団で過ごした。
1999年は当初は2Aでプレーし、47試合の登板で4勝1敗・防御率1.38・27セーブを記録。
フューチャーズゲームに選出され、8月2日のホワイトソックス戦でメジャーデビューを果たし、以後11試合連続で無失点に抑えた。
この年20試合に登板し、防御率3.32、2勝2敗を記録した。
テキサス・レンジャーズ時代 (2005年4月11日) 1999年11月2日にフアン・ゴンザレス、グレッグ・ゾーン、ダニー・パターソンとのトレードでゲーブ・キャプラー、フランク・カタラノット、ジャスティン・トンプソン、ビル・ヘイセルマン、アラン・ウェブと共にテキサス・レンジャーズへ移籍した。
レンジャーズ移籍1年目の2000年は56試合に登板し、1勝2敗、防御率5.35だった。
4月と5月は防御率が2点台前半だったが、6月は6.30、7月は10.80と悪化していった。
8月8日から8月13日にかけて3Aのオクラホマに降格した。
2001年は疲労骨折のためメジャーで3試合、3Aで12試合しか投げられなかった。
2002年、復活を果たし、ブレイク。
6月19日のホワイトソックス戦でメジャー初セーブを記録。
6月25日から7月26日にかけて故障者リスト入りしたが、復帰後の8月7日から9月24日にかけて19試合連続、19.1回無失点を記録した。
この年は防御率1.79・10セーブを記録した。
2003年はボストン・レッドソックスから移籍してきたウーゲット・ウービナがクローザーを務めていたが、ウービナは7月11日にフロリダ・マーリンズへ移籍。
その後、コルデロはクローザーとして起用され、最終的にリーグ6位の73試合に登板し、15セーブを記録した 2004年はマリアノ・リベラの53セーブに次ぐリーグ2位の49セーブを記録し、オールスターに初めて選出されるなど抑え投手としての地位を確立した。
シーズン初登板の4月7日から6月10日にかけて19回連続セーブ機会成功し、ジョン・ウェッテランド(1999年)とジェフ・ジマーマン(2001年)の連続セーブの球団記録17を更新した。
その後6月23日から8月28日にかけて21回連続セーブ機会成功し、さらに球団記録を更新した。
9月29日のエンゼルス戦でトロイ・グロースにこの年、唯一の本塁打を打たれた。
2005年はスプリング・トレーニングで右肩痛のため出遅れたが、シーズン開幕をメジャーで迎えた。
7月30日のブルージェイズ戦で ドミニカ共和国出身の選手としては史上6人目の通算100セーブを達成した。
リーグ6位の37セーブを記録し、球団史上、ジョン・ウェッテランドに次ぐ2人目の2年連続で30セーブを記録した。
2006年は4月の防御率は11.45で、4月下旬には抑えの座を大塚晶則に奪われるなど精彩を欠いた。
ミルウォーキー・ブルワーズ時代 (2007年7月) 2006年7月28日にトレードでミルウォーキー・ブルワーズへ移籍。
移籍後は18セーブ機会中16回セーブ成功・防御率1.69など復調した。
2007年はリーグ2位、球団新記録となる44セーブを記録し、史上8人目となる両リーグで40セーブを記録した。
開幕から5月7日まで16試合連続無失点に抑えた。
また、6月5日まで球団史上歴代2位となる22試合連続セーブ機会成功した。
この間、5月5日から5月9日にかけて史上4人目となる5日連続でセーブを記録した。
自身2度目のオールスター選出も果たしている。
10月29日にFAとなった。
シンシナティ・レッ…

WACOCA JAPAN: People, Life, Style.