西浦颯大, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3767377 / CC BY SA 3.0

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#オリックス・バファローズの育成選手
#メルボルン・エイシズの選手
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西浦 颯大(にしうら はやと、1999年5月21日 – )は、熊本県八代市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。
右投左打。
八代市立鏡西部小学校3年生時に、軟式の小川キングリバーズで野球を始め、6年生時(2011年)には福岡ソフトバンクホークスのジュニアチームでNPB12球団ジュニアトーナメントに出場している。
鏡中学校時代は硬式の熊本北リトルシニアに在籍し、3年生時(2014年)には第2回15U野球ワールドカップの日本代表に選出された。
明徳義塾高等学校では、1年春から公式戦出場を果たす。
1年夏の高知県大会でも20人のメンバー入りし、チームは優勝し甲子園出場を果たしたものの、自身は県予選の不振により甲子園本戦の18人メンバーから漏れた。
1年秋からはレギュラーに定着し、2年春から3年夏まで自身計4度の甲子園出場を果たした。
2年春の選抜は3番・右翼手として出場するも1回戦で龍谷大平安に敗退。
2年夏の選手権では主に3番・一塁手として出場し、3回戦の嘉手納戦で満塁本塁打を放ち、準決勝で今井達也を擁し優勝した作新学院に敗れたものの、ベスト4の成績を残した。
3年次は3番・右翼手に戻り、春の選抜では1回戦で清宮幸太郎を擁する早稲田実業に敗退。
3年夏の選手権では2回戦で前橋育英に敗退。
甲子園4大会通算で33打数12安打6打点1本塁打の成績を残した。
高校時代のチームメイトとしては1学年先輩に古賀優大、1学年後輩に市川悠太がいる。
2017年度ドラフト会議でオリックス・バファローズから6位指名を受け、契約金3000万円・年俸480万円(推定)の条件で契約を結んだ。
背番号は00となった。
2018年、10月1日に初めて一軍出場選手登録されると、同日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天生命パーク宮城)で8番・右翼手の先発としてプロ初出場。
5回表の第2打席で藤平尚真から右前にプロ初安打を放つと、そのままプロ初盗塁となる二盗を記録した。
2019年はオープン戦から「2番・中堅手」候補としてスタメン起用され、オープン戦16試合で打率.161・56打数で15三振を喫した一方、3月8日の対読売ジャイアンツ戦(京セラドーム大阪)で菅野智之から3点本塁打を放つなど、.429の得点圏打率と12球団4位タイの12打点を記録した。
開幕一軍メンバーに選出されると、3月29日の開幕戦北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)において2番・中堅手として自身初の開幕スタメンを掴み、プロ初打点となる適時打を含む2安打を記録した。
8番・中堅手として出場した5月10日の楽天戦で青山浩二からプロ初本塁打を記録した。
10代での本塁打は、オリックスでは1993年の鈴木一朗(イチロー)以来だった。
シーズン通算では打率.195と打撃に課題を残しレギュラー定着は果たせなかったものの、77試合出場と前年から大きく出場機会を伸ばし、8盗塁に加えてチームの外野手トップの7補殺を記録するなど、走塁・守備に存在感を発揮した。
シーズン終了後にはオーストラリア・ウィンターリーグのメルボルン・エイシズに派遣された。
ウィンターリーグでは打率.326(95打数31安打)、3本塁打、11打点を記録し、11月末から12月初めにかけては打撃好調で、週間ベストナインを2週連続で獲得した。
2020年は7月16日に初めて一軍登録されたが、2度の登録抹消を経験。
シーズン最終盤の11月に4度目の一軍昇格となり、2試合連続安打を放つも試合中に力が入らないほどの激痛に見舞われ、左大腿骨頸部を疲労骨折が判明し、登録を抹消された。
関西の医療機関にて検査を行ったところ、特定疾患である両側特発性大腿骨頭壊死症であると診断された。
この事実は11月26日に公表され、また、球団が翌年の支配下選手契約を行わないことも発表された。
12月2日に自由契約公示されたのち、同月8日、育成選手としてオリックスと再契約を結んだ。
背番号は125に変更となった。
12月21日に京都市内の病院で、骨盤を骨頭へ移植する左大腿骨頭掻爬手術を受けた。
2021年は2月3日に右大腿骨頭掻爬手術を受けた。
4月17日に退院し、8月には打撃練習の様子を公開するなど復帰へ取り組んでいたが、病状の悪化を受け現役引退…

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