コリン・レイ (野球), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3448007 / CC BY SA 3.0

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#福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手
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コリン・D・レイ(Colin D. Rea、英語発音:/ˈkoʊlɪn ˈreɪ/、1990年7月1日 – )は、アメリカ合衆国アイオワ州ジョーンズ郡カスケード出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
MLBのミルウォーキー・ブルワーズ傘下所属。
2011年のMLBドラフト12巡目(全体383位)でサンディエゴ・パドレスから指名され、プロ入り。
契約後、傘下のA-級ユージーン・エメラルズでプロデビュー。
15試合に先発登板して3勝4敗、防御率2.21、43奪三振を記録した。
2012年はA級フォートウェイン・ティンキャップスでプレーし、31試合(先発19試合)に登板して5勝10敗、防御率4.11、80奪三振を記録した。
2013年はA級フォートウェインとA+級レイクエルシノア・ストームでプレーし、2球団合計で31試合(先発12試合)に登板して2勝6敗、防御率4.08、83奪三振を記録した。
2014年はA+級レイクエルシノアでプレーし、28試合に先発登板して11勝9敗、防御率3.88、118奪三振を記録した。
2015年はAA級サンアントニオ・ミッションズで開幕を迎え、7月1日にはAAA級エル・パソ・チワワズへ昇格した。
7月にはオールスター・フューチャーズゲームに選出された。
8月11日にパドレスとメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りし、同日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。
先発して5回3失点の投球でメジャー初登板初勝利を飾った。
この年メジャーでは6試合に先発登板して2勝2敗、防御率4.26、26奪三振を記録した。
2016年7月29日、ジャレッド・コザート、カーター・キャップス、ルイス・カスティーヨ、ジョシュ・ネイラーとのトレードで、アンドリュー・キャッシュナー、タイロン・ゲレーロと共にマイアミ・マーリンズへ移籍した。
7月30日のセントルイス・カージナルス戦に先発したが、右肘を痛めて4回途中で降板すると、右肘の捻挫と診断され15日間の故障者リストに登録された。
2016年8月1日、前述の故障を理由にパドレスに返却トレードされた。
交換要員として7月29日のトレードで移籍したばかりのルイス・カスティーヨがマーリンズに復帰した。
直後にトミー・ジョン手術を受けた。
2017年は前年の手術の影響もあり、メジャーでの登板は無かった。
2018年もメジャーでの登板は無かった。
オフの11月20日にDFAとなり、26日に自由契約となった。
2019年1月10日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。
シーズンでは傘下のAAA級アイオワ・カブスでプレーし、26試合に先発登板して14勝4敗、防御率3.95、120奪三振を記録した。
オフの11月4日に40人枠入りした。
2020年8月5日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で4年ぶりのメジャー復帰登板を果たした。
オフに2021年の契約を既に結んでいたが、2021年1月4日付で突如自由契約となった。
2021年1月7日、福岡ソフトバンクホークスと1年契約を結んだ。
背番号は26で、登録名はコリン・レイ。
しかし、コロナ禍のなか来日が4月24日と遅れ、5月8日にオンラインで入団会見が行われた。
6月3日に行なわれたセ・パ交流戦の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)において一軍公式戦初登板を果たした。
初回に3点本塁打を打たれたものの、その後は立ち直りクオリティ・スタートを達成した。
7月12日(対楽天・福岡PayPayドーム)には、8回二死まで無安打で抑え、メジャー時代を含めてキャリア初の完封勝利を挙げた。
また、チームにとってシーズン初の完封勝利で、チームの外国人投手としては2015年のスタンリッジ以来の完封勝利だった。
本拠地・福岡PayPayドームでの勝利も初だった。
前半戦終了までに、6試合登板、3勝1敗、防御率2.03と好成績を収めた。
オリンピック開催期間中に一時帰国していた際に夫人が早産で出産し、家族と離れて日本に戻ることが難しい状況となる。
球団も彼の家族を優先したいという意向を了承し、8月8日付で退団した…

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