渡邊佳明, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3858899 / CC BY SA 3.0

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渡邊 佳明(わたなべ よしあき、1997年1月8日 – )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(内野手)。
右投左打。
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
祖父は横浜高等学校硬式野球部で監督を務めた渡辺元智。
実母は元智の次女で、元智が横浜高校の硬式野球部監督を務めていた時期に、野球部の寮母を務めていた。
その関係で、幼少期には両親と共に寮内で生活。
横浜市立六浦南小学校2年時から軟式野球を始めると、横浜市立富岡中学校時代には、中本牧シニアでのプレーを経験した。
中学校からの卒業を機に、横浜高校へ入学。
中学生時代に当時硬式野球部の監督だった元智に入部を訴えたところ、「お前の(当時の)実力では(レギュラーの証である)ユニフォームを着られない」という言葉で突き放されたため、一般入試での合格を経て入部に漕ぎ着けた。
もっとも、入部後は元智からの指導の下で、1年時の秋から一塁手としてレギュラーの座を確保。
2年時夏の選手権神奈川大会に、同学年の淺間大基(3番)・髙濱祐仁(4番)とのクリーンアップで臨むと、準々決勝で松井裕樹を擁する桐光学園高校を破った。
さらに、前年秋の神奈川県大会で敗れていた平塚学園高校にも決勝で雪辱したことによって、神奈川代表として第95回全国高等学校野球選手権大会に出場した。
ただし実際には、右肘の疲労骨折を押しての出場だったため、3回戦で髙橋光成を擁する前橋育英高等学校に敗退。
結局、同校はこの大会で優勝した。
3年時には、春の第86回選抜高等学校野球大会に出場。
八戸学院光星高校との初戦で2安打を打ったものの、チームの勝利につながらなかった。
夏の選手権神奈川大会では、小笠原慎之介・吉田凌などを擁する東海大相模高校と準決勝で対戦。
自身は3安打を打ったが、チームは3季連続の全国大会出場にあと一歩届かなかった。
甲子園球場の全国大会には春夏通算で3試合に出場したが、打率.182(11打数2安打)、1打点と振るわず、卒業後は明治大学に進学した。
2学年先輩には明治大学でもプレーする柳裕也、2学年後輩に後に楽天でもプレーする藤平尚真がいる。
明治大学では、1年時の春からベンチ入り。
2年時には、正三塁手へ定着するとともに、チームの東京六大学野球リーグ戦春秋連覇に貢献した。
2年の春季リーグ戦では、打率.289を記録するとともに、三塁手としてベストナインに選出。
2年の秋には、リーグ戦で打率.359を記録した後に、第47回明治神宮野球大会でも打率.364でチームの優勝に貢献した。
3年の秋季リーグでは、打率.364で2度目のベストナインを受賞。
遊撃手に転向した4年時には、春秋ともベストナインへ選ばれるとともに、最後のシーズンだった秋季リーグ戦に打率.420で首位打者のタイトルを獲得した。
在学中には、リーグ戦で通算90試合に出場。
本塁打は出なかったものの、打率.314(303打数95安打)、33打点という成績を残した。
野球部の2学年先輩に星知弥、佐野恵太、1学年先輩に齊藤大将がいる。
また、大学3年時には第41回日米大学野球と第29回ユニバーシアード、4年時には第42回日米大学野球と第29回ハーレムベースボールウィークに日本代表として出場した。
このような実績を背景に、2018年のNPBドラフト会議では、松井が所属する東北楽天ゴールデンイーグルスから6巡目で指名。
契約金3,000万円、年俸750万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は48で、楽天にはこの年から同姓の渡邊佑樹が在籍しているため、報道などでは「渡辺佳」という略称が用いられている。
2019年は一軍の春季キャンプに参加し、監督の平石洋介から「野手MVP」に選出。
オープン戦からは試合への出場機会を増やすべく、大学時代まで実戦での経験がほとんどない外野の守備練習を始めた。
公式戦の開幕こそ二軍で迎えたが、5月19日に一軍初昇格を果たすと同21日の対北海道日本ハムファイターズ戦、9回表に今江年晶への代走としてプロ初出場。
5月23日の同カードでは「9番・三塁」でプロ初のスタメン出場、5回表の第2打席で杉浦稔大からプロ初安打を放った。
6月5日の対読売ジャイアンツ戦では「7番・左翼」で初めて外野手としてスタメン…

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