小島和哉, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3914451 / CC BY SA 3.0

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小島 和哉(おじま かずや、1996年7月7日 – )は、埼玉県鴻巣市出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
千葉ロッテマリーンズ所属。
りんどうスポーツ少年団から野球をはじめ、鴻巣市立赤見台中学校では行田シニアでプレーをした。
浦和学院高校へ進学すると1年夏からベンチ入りを果たし、甲子園では3回戦の天理戦で登板し、3回3失点(自責点1)だった。
1年秋からエースを務め、髙橋光成擁する前橋育英や若月健矢擁する花咲徳栄などを破り秋季関東大会を制覇。
2年春の甲子園では初戦の土佐戦を6安打完封で突破すると、吉田雄人擁する北照との準々決勝では7回1安打無失点の好投。
岸本淳希擁する敦賀気比との準決勝、安樂智大擁する済美との決勝では共に9回1失点の完投で好投手との投げ合いを制し、浦和学院を初の全国制覇に導いた。
同大会では5試合全てに先発し、3完投・防御率0.64(42回3失点)と驚異的な数字を残した。
2年夏の埼玉県大会では準々決勝の埼玉平成戦で完全試合を達成するなどエースとしての活躍を見せ、甲子園に出場。
初戦の上林誠知、熊谷敬宥、馬場皐輔擁する仙台育英戦では初回に6点を失うなど、8回までに10失点を喫した。
9回10―10で迎えた9回裏に登板前に左足が痙攣し、2アウトまで扱ぎつけるが、ヒットを許したところで降板。
後を承けた山口瑠偉が熊谷にサヨナラタイムリーを打たれチームは敗れた。
3年夏は3回戦の川口戦で敗退し、甲子園には届かなかった。
その後U-18日本代表に選ばれ、同大会では3試合にリリーフとして登板し、5イニングで許した安打はわずかに3、自責点は0という好投を披露した。
早稲田大学入学後は1年春から登板を果たす。
1年春のリーグ戦では5試合にリリーフ登板すると最終戦で初の先発登板。
7回6安打11奪三振2失点と好投し、6試合の登板で3勝0敗・防御率1.25という好成績を残した。
大学選手権では準々決勝の専修大学戦に先発し、7回2失点の好投を見せると決勝の流通経済大学戦でも先発を任され、全国制覇に貢献。
明治神宮大会では準決勝の上武大学戦で9回1失点の好投を見せ、1年時は二度の全国大会を経験した。
2年夏に第28回ハーレムベースボールウィークの日本代表に選ばれ、2年秋のリーグ戦では防御率1.60で最優秀防御率を受賞。
4年時は主将を務め、4年夏には第42回日米大学野球と第29回ハーレムベースボールウィークに日本代表として出場。
4年秋のリーグ戦では10試合の登板(5完投)で4勝2敗・防御率1.73と好成績を残し、2度目の最優秀防御率に輝いた。
2年時以降は全国大会への出場はかなわなかったが、4年間のリーグ戦では通算63試合の登板で22勝13敗・防御率2.37を記録した。
野球部には3学年先輩に茂木栄五郎、重信慎之介、2学年先輩に石井一成、1学年先輩に大竹耕太郎がいる。
2018年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位で指名を受け、契約金6000万円、年俸1000万円(金額は共に推定)で入団した。
背番号は43。
2019年、球団では藤岡貴裕以来7年ぶりとなる新人左腕の開幕ローテーション入りを勝ち取り、4月4日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初登板初先発を果たしたが、2回8失点で敗戦投手。
吉井投手コーチは「本当はもう一度チャンスを与えたいが、チーム事情で中継ぎが必要」と語り、翌日に出場選手登録を抹消された。
イースタン・リーグでは11試合の先発で防御率2.00と結果を残し、7月4日のオリックス・バファローズ戦で一軍復帰。
その後は抹消と再登録を繰り返しながら一軍の先発マウンドに上がり、5度目の先発登板となった8月14日の北海道日本ハムファイターズ戦で6回1失点と好投し、プロ初勝利を挙げた。
ルーキーイヤーは一軍で10試合全てに先発登板、3勝5敗・防御率4.31という成績を残し、オフに700万円増となる推定年俸1700万円で契約を更改した。
2020年も開幕ローテーション入りを果たし、7月22日の西武戦はプロ野球史上68年ぶりの「甲子園同年優勝投手対決」となり、7回途中1失点の好投で髙橋光成との投げ合いを制し勝利投手。
8月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では8連勝中だった涌井秀章との投げ合いも7回5安打無失点の好投で制して勝利投手、また自己…

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