山足達也, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3757514 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#ユニバーシアード野球日本代表選手
#日本のユニバーシアード金メダリスト
#大阪桐蔭高等学校出身の野球選手
#立命館大学硬式野球部の選手
#Honda鈴鹿硬式野球部及びその前身チームの選手
#オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手
#大阪府出身の人物
#1993年生
#存命人物
山足 達也(やまあし たつや、1993年10月26日 – )は、大阪府枚方市出身のプロ野球選手(内野手)。
右投右打。
オリックス・バファローズ所属。
野球を始める前の2歳時から器械体操に取り組んでいた。
枚方市立蹉跎(さだ)西小学校在学中の6歳時に、父の影響でキングシャイアンスで野球を始め、蹉跎中学校時代は、オール枚方ボーイズに所属しジャイアンツカップ優勝など全国大会3冠を経験。
大阪桐蔭高等学校に進学すると、1年秋から左翼手のレギュラーを獲得。
2年春の選抜では、1回戦の東海大望洋戦で5打数3安打1打点を記録し勝利するも、2回戦で大垣日大に敗れた。
2年秋からは遊撃手に転向したが、3年夏は大阪府大会決勝で石川慎吾を擁する東大阪大柏原にサヨナラで敗れ、甲子園出場は2年春のみに終わった。
高校の同級生には西田直斗、1学年上には江村直也、1学年下には藤浪晋太郎と、後にオリックスで再びチームメイトとなる澤田圭佑がいる。
立命館大学では1年次の関西学生野球連盟春季リーグ開幕戦の対関大戦から「3番・二塁手」として先発起用されたが、結局同シーズンは10打数無安打に終わり、1年秋も2打数無安打であった。
2年春は19打数8安打の成績を残すが、2年秋は再び8打数無安打と打撃不振に陥り、ベンチから外された。
結果の伴わなかったこの時期について山足自身は「向上心や自信がなかった」「自分から逃げていた」と語っており、やがては練習を怠けるようになった。
この時山足を立ち直らせたのは、大阪桐蔭高時代の恩師である同校野球部監督西谷浩一の「お前には野球しかないんだから、野球だけは続けておけ」という説諭であったという。
改心して練習に打ち込むと、3年次からは遊撃手のレギュラーに定着し、3年春は17安打10盗塁の成績で立命館大の優勝に貢献した。
4年次でも、春季・秋季と連続してベストナインに選出された。
リーグ通算69試合に出場し、249打数74安打、打率.297、1本塁打、19打点、30盗塁。
また在学中、3年次に第27回ハーレムベースボールウィーク、4年次に第28回夏期ユニバーシアードの大学日本代表に選出された。
大学の同学年には桜井俊貴がいる。
大学卒業後は社会人野球のHonda鈴鹿に入社。
1年目から遊撃手のレギュラーに定着し、都市対抗野球には2年連続で出場した。
2017年度ドラフト会議でオリックス・バファローズから8位指名を受け、契約金2000万円・年俸700万円(推定)の条件で契約を結んだ。
背番号は36となった。
Honda鈴鹿からは前年の飯田大祐に続き2年連続でのオリックスからの指名となった。
2018年、新人ながらオープン戦14試合全てに起用され、本職の二遊間のほか人生で初めてという一塁手の守備にも就いた。
3月29日、チームの新人の中では田嶋大樹と共に開幕一軍メンバーに選ばれた。
3月30日の開幕戦福岡ソフトバンクホークス戦では2番・二塁手で先発出場。
オリックスの新人野手が開幕スタメン起用されたのは、2011年の後藤駿太以来、内野手に限れば2007年の大引啓次以来である。
プロ初打席では、千賀滉大からこの試合でチーム唯一の安打となる中前安打を放った。
しかし4月3日千葉ロッテマリーンズ戦の二塁守備中、中村奨吾の二盗企図に対してベースカバーに入った際に、中村と交錯してスパイクで左膝を12針縫合する裂傷を負い、翌日に出場選手登録を抹消された。
約1か月の治療と調整を経て一軍復帰した5月8日の北海道日本ハムファイターズ戦では、プロ初打点となる適時打を含む2安打3打点を記録し、公式戦初のお立ち台を経験した。
9月8日のホークス戦では千賀から決勝点となるプロ初本塁打を放った。
しかし一軍公式戦全体では、25試合の出場で打率.167、1本塁打、7打点、2盗塁という成績にとどまった。
シーズン終了後の秋季キャンプでは、一軍ヘッドコーチから監督へ転じたばかりの西村徳文から「強化指定選手」へ指名され、高校時代にも経験のある外野の守備練習を再開している。
50m走のタイムは5秒8。
守備位置は遊撃手・二塁手が本職だが、内野全ポジションに加え、外野手も対応可能なユーティリティープレイヤー…

WACOCA: People, Life, Style.