唐川侑己, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1193414 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#成田高等学校出身の人物
#千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#千葉県出身の人物
#1989年生
#存命人物
唐川 侑己(からかわ ゆうき、1989年7月5日 – )は、千葉県成田市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
千葉ロッテマリーンズに所属。
父親の方針で小学校入学当時は空手(緑帯)を始め、成田市立成田小学校3年から成少フォックスに入団し野球を始める。
以来一貫して投手を務めている。
小学校6年で千葉県大会ベスト8。
成田小学校の2学年上に、女子マラソン選手の田中智美(第一生命)がいた。
中学では熱心な誘いを受けていた強豪シニアリーグのチームには入らず、成田市立西中学校の軟式野球部に入部。
これも身体が出来ていないうちから硬球での野球をさせることに反対していた父親の方針からだった。
中学3年時にはKボール成田市選抜のエースとして全国大会準優勝を果たした。
2007年3月26日第79回選抜高等学校野球大会、広陵高校戦にて 高校は成田高等学校に進学。
小学生のころから成田高校の試合を見に行っており、当然のようにここに入るのだと思っていたのだという。
入学後ブルペンでの投球を見た尾島治信監督が、1年生ながらその抜群のコントロールに驚き、急遽4月第二週目の練習試合で投げさせたところ、2イニングで6奪三振といきなり非凡な才能を見せた。
1年夏からベンチ入りし(背番号18)、同年秋の関東大会から背番号1をつける。
秋の千葉県大会決勝では、岩嵜翔擁する市立船橋高に勝利。
続く関東大会では成田高校の初優勝の原動力(唐川は1回戦と2回戦に先発完投し2勝)となり、同校の選抜初出場を確実にし、明治神宮大会にも出場した。
2年時の第78回選抜では、1回戦の小松島高戦で10奪三振を奪い完封し、一気に知名度を上げた。
2回戦は神港学園高に0-2で惜敗。
優勝候補と目されていた夏の千葉大会では2回戦で先発するも、市立稲毛高に敗れ、初戦敗退に終わった。
3年時の第79回選抜では、初戦で延長12回の末、同年夏に準優勝した広陵高に敗戦。
夏の千葉大会は4回戦で東海大浦安高と対戦。
同大会28イニングス目で初となる失点を喫し、延長14回の末0-1で敗戦。
当時バッテリーを組んだ西田和也捕手が得点できなかったことを謝罪すると、「自分が0点に抑えたら負けなかった。」と答えたという。
夏の甲子園出場は逃したものの、県大会で投げた3試合で35奪三振とその力を充分に見せつけた。
甲子園での通算成績は1勝2敗、防御率0.90だった。
高校生のドラフト候補として大阪桐蔭高の中田翔、仙台育英高の佐藤由規と共に高校ビッグ3と呼ばれ、2007年のプロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズと広島東洋カープから1巡目指名を受け、抽選の結果、地元・ロッテが交渉権を獲得。
同年11月6日、契約金9000万円・年俸1000万円(金額はいずれも推定)で仮契約が成立した。
背番号は「19」。
2009年11月 U-26NPB選抜(東京ドーム) 2008年4月23日、高校ビッグ3の中で最初に一軍登録。
4月26日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)でプロ初登板・初先発し、7回無失点で、ドラフト制導入以後ではロッテ球団史上初の、高卒新人プロ初登板初先発初勝利を果たした。
また、この勝利は平成生まれのプロ野球選手の勝利投手第1号でもあった。
5月3日のプロ第2戦となった対埼玉西武ライオンズ戦(千葉マリンスタジアム)では高卒新人としてドラフト制度施行後初の無四球完投(1失点)を達成。
5月13日の対北海道日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)でも8回2失点で、デビューから3連勝を飾った。
しかし、交流戦は4試合で0勝1敗、防御率8.05と打ち込まれると、以降は不調に終わり、規定投球回到達はならなかったが、高卒新人ながら5勝4敗、防御率4.85の成績を残した。
2009年は、開幕から先発ローテーションに入り、5月10日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(千葉マリン)でプロ初完封を果たすと、5月19日の対横浜ベイスターズ戦(千葉マリン)は9回1失点と2試合連続完投で4勝目を挙げたが、以降は援護に恵まれず、21試合に先発し、5勝8敗、防御率3.64の成績を残した。
中9日で挑んだシーズン最終戦の対楽天戦(クリネックススタジアム宮城)では、6回1/3を5失点で降板。
規定投球回まであと2/3回届かなかった。
2010年も開幕から先発ローテーションに入り、3…

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