清田育宏, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2000014 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#柏市立柏高等学校出身の人物
#東洋大学硬式野球部の選手
#NTT東日本硬式野球部及びその前身チームの選手
#千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#千葉県出身の人物
#1986年生
#存命人物
清田 育宏(きよた いくひろ、1986年2月11日 – )は、千葉県鎌ケ谷市出身の元プロ野球選手(外野手)。
右投右打。
父の実家は鎌ケ谷市の名産である梨の農家。
市立柏高時代は投手で、球速は最速で140km/h前半。
制球も良く、スカウトから注目されていたが、東洋大学へ進学。
野球部でも投手を務めたが、大学3年間のプレー成績が不安定だったことから野手へ転向。
4年春には打順4番で3本塁打・14打点の打撃成績を残しベストナインに輝いた。
リーグ通算37試合122打数31安打22打点5本塁打11盗塁、打率.254。
投手で1試合に登板。
大学卒業後はNTT東日本に入社した。
野球部では入社1年目の2008年に第79回・翌2009年には第80回と2年連続出場。
特に第79回はJR東日本の補強選手として出場、この時後にチームメイトとなる木村雄太(東京ガスから補強)とも一緒にプレーしている。
2009年のプロ野球ドラフト会議にて、地元の千葉ロッテマリーンズから4位指名を受けた。
また、清田と同い年の右打ち外野手である荻野貴司が1位指名を受けたこともあってロッテへの入団にためらいはあったものの、1位と同等の年俸と背番号1を用意され無事入団にこぎつけた。
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて 2010年は、春季キャンプで左脇腹を痛め、開幕は二軍で迎えたが、5月に右膝を負傷した荻野貴と入れ替わりに一軍に昇格。
5月24日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)で福浦和也の代走としてプロ初出場を果たすと、同26日の広島東洋カープ戦(千葉マリンスタジアム)で、ソリアーノからプロ初安打を放つ。
8月4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(クリネックススタジアム宮城)でプロ初本塁打を放つと、その後は先発出場する機会も増え、最終的に64試合に出場。
打率.290、2本塁打、18打点という成績を残した。
クライマックスシリーズファイナルステージ第2戦では、和田毅から本塁打を放った。
パリーグの新人選手がプレーオフで本塁打を放ったのは清田が初めてとなった。
さらに第5戦でも森福允彦から本塁打を放った。
新人選手がポストシーズンで複数の本塁打を放ったのは読売ジャイアンツの長嶋茂雄、原辰徳、仁志敏久以来、4人目であり、パリーグでは初となった。
日本シリーズ第1戦では、吉見一起から、1958年の長嶋以来52年ぶりとなる、新人の初戦本塁打を放ち、一躍時の人になった。
これでポストシーズン3本目の本塁打となり、長嶋、原、仁志の2本を超え、新人記録を更新した。
さらに第3戦では同点の4回に山井大介から3点適時三塁打を放ち、1986年の清原和博以来、24年ぶりとなる新人選手の日本シリーズでの勝利打点を記録。
第5戦では中田賢一から2点適時打を放ち、岩下光一、原、上川誠二のもつ、日本シリーズでの新人打点記録の6打点に並んだ。
最終的に全7試合にフル出場し30打数10安打1本塁打6打点の活躍を見せ、MVPこそ今江敏晃に譲ったものの、優秀選手賞を獲得した。
2011年は、プロ入り後初の開幕一軍を果たしたが、中堅手のレギュラーの座を岡田幸文に奪われ、前半戦は伊志嶺翔大と、後半戦は角中勝也と併用される形で、主に右翼手として出場。
6月1日の東京ヤクルトスワローズ戦(ZOZOマリンスタジアム)で死球を受け骨折し、途中離脱したこともあったが、前年を上回る72試合に出場し、打率.244、3本塁打、25打点という成績を残した。
左投手相手には打率.330と強さを見せたが、右投手相手には打率.178とあまり打てなかった。
また、本塁打は少なかったが規定打席未到達者の中ではトップタイ(リーグ14位タイ)の21二塁打を記録した。
2012年1月1日に高校時代の同級生と結婚した。
2年連続の開幕一軍入りを果たし、3月30日に行われた楽天との開幕戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)に「1番・右翼手」として先発出場。
自身初の開幕戦での先発出場となった。
しかし、7月末までに65試合の出場で打率.232と低調で、8月初頭に出場選手登録を抹消された。
1か月余りを二軍で過ごし、9月12日に一軍復帰したあとは.383の打率を残す等打撃も好調。
シーズン最後の2試合では4番打者として起用さ…

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