スコット・リッチモンド, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1865386 / CC BY SA 3.0

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スコット・ダニエル・リッチモンド(Scott Daniel Richmond , 1979年8月30日 – )は、カナダ連邦ブリティッシュコロンビア州ノースバンクーバー出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
2019年現在は、独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックス所属。
台湾球界での登録名は力猛。
カナダ連邦ブリティッシュコロンビア州ノースバンクーバーでニュージーランド移民2世として生まれたリッチモンドは、投手の経験がある継父から投球術を教わった。
高校時代は学校に野球チームが無かったため、地域のアマチュアリーグに参加して野球をプレーしていた。
高校卒業後はバンクーバーの造船所で3年間働いた後、野球選手を目指すことを決意。
ミズーリ・バレー・カレッジで1年間、ボージュアー・パリッシュ・コミュニティー・カレッジで1年間プレーしたのち、オクラホマ州立大学へと移り、25歳で卒業。
しかし、MLBドラフトにはかからなかった。
2005年から2007年にかけては独立リーグであるノーザンリーグのエドモントン・クラッカー・キャッツでプレー。
その間もMLB数球団の入団テストを受けるが、いずれも不合格に終わる。
2007年10月20日にトロント・ブルージェイズの入団テストに合格し、マイナー契約を結んだ。
2008年7月30日のタンパベイ・レイズ戦でメジャーデビュー。
同年8月の北京五輪カナダ代表にも選ばれていたが、直前にメジャー昇格を果たしたため、五輪メンバーからは外れた。
この年は全て先発で5試合に登板し、最終登板となった9月26日のボルティモア・オリオールズ戦でメジャー初勝利を挙げた。
2009年3月に開催された第2回WBCのカナダ代表に選出された。
同大会ではカナダ代表は2連敗で1次ラウンド敗退に終わり、リッチモンドの登板機会は無かった。
シーズンではダスティン・マゴワン、ショーン・マーカムらの故障により開幕から先発ローテーションに抜擢される。
4月に3勝0敗、防御率2.70の成績でア・リーグ月間最優秀新人に選ばれた。
その後は打ち込まれることが増え、一時はリリーフに降格した。
7月4日には右肩の炎症で故障者リスト入りしたが、同月末に復帰した。
復帰後も一発病に苦しみ、長らく勝ち星から見放されたが、9月24日のオリオールズ戦で3ヵ月ぶりの勝利を挙げた。
最終的にチーム3位の8勝をマークしたが、防御率は5.52に終わった。
2010年は肩の故障のためメジャーでの登板はなく、アドバンスドA級ダニーデンとAA級ニューハンプシャー、AAA級ラスベガスでの計9試合の登板に終わる。
2011年は7月23日にロースターから外れた。
オフの9月16日に第39回IBAFワールドカップとグアダラハラパンアメリカン競技大会の野球カナダ代表に選出された。
W杯では銅メダル、パンアメリカン競技大会では金メダルを獲得している。
2012年9月11日に第3回WBC予選のカナダ代表に選出された。
ただ、この大会で登板することは無かった。
10月4日にブルージェイズからFAとなった。
2012年12月17日、韓国プロ野球ロッテ・ジャイアンツと契約した。
2013年1月11日にWBC本大会の暫定メンバーが発表され、その中の一人だった。
だが、ロッテジャイアンツの2月の海外キャンプ中に膝の故障で離脱。
WBCカナダ代表からも外れ、一度も実戦登板のないまま3月20日にロッテから解雇された。
2013年5月15日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。
同年はレンジャーズ傘下AAA級マイナーチームのみで、メジャーリーグでの登板はなかった。
11月5日にFAとなった。
2014年2月19日にレンジャーズとマイナー契約で再契約した。
2015年は独立リーグであるアメリカンアソシエーションのウィチタ・ウィングナッツと契約。
6月30日には代替選手としてジャスビール・ラッカーと共に2015年パンアメリカン競技大会の男子野球カナダ代表に選出された。
チームは2大会連続2度目の優勝を果たし…

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