十亀剣, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2436767 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#愛知工業大学名電高等学校出身の野球選手
#日本大学硬式野球部の選手
#JR東日本硬式野球部及びその前身チームの選手
#埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#愛知県出身の人物
#1987年生
#存命人物
十亀 剣(とがめ けん、1987年11月7日 – )は、愛知県豊田市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
埼玉西武ライオンズ所属。
小学校4年生の時に「豊田虎」で野球を始め、中学生時代は「豊田リトルシニア」でプレーし、3年生の時に全国大会出場を経験した。
愛工大名電高校1年生の時に監督の指示で投球フォームを今までのオーバースローからサイドスローに変更した。
チームが優勝した3年生時の第77回選抜大会では、準決勝の対神戸国際大附高校戦に2番手で登板し、4回を投げ1失点だった。
第87回全国選手権・1回戦の対清峰高校戦では7回に2番手で登板し、同点の延長13回に決勝点となる2点を奪われ、チームは敗退。
高校時代は2学年上に堂上剛裕、1学年上に丸山貴史、同級生に柴田亮輔、1学年下に堂上直倫、2学年下に柴田章吾がいた。
日本大学では1年生の春から東都リーグ戦に登板。
1部での大学通算成績は21試合50回1/3を投げ0勝1敗、防御率3.58で、2部通算では30試合に登板し7勝7敗だった。
大学卒業後はJR東日本に入社。
1年目、第81回都市対抗野球大会1回戦で救援登板し、1回を投げ無失点だった。
2年目の2011年、10月に行われた第39回IBAFワールドカップの日本代表に選出され、2試合での先発登板を含む3試合に登板した。
2011年10月22日から行われた第82回都市対抗野球大会では3試合に先発登板、計14回1/3を投げ奪三振13、自責点3だった。
決勝の対NTT東日本戦では、同じドラフトで同じ西武から2位指名を受けた小石博孝と投げ合い、自身は2回1/3を投げ降板したが、チームは勝利し初優勝した。
この大会では大会優秀選手に選ばれた。
2011年10月27日に行われた2011年度ドラフト会議にて埼玉西武ライオンズから1巡目指名を受けて、契約金1億円プラス出来高5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)で契約。
背番号は「21」。
2012年2月23日に初の対外試合となった広島東洋カープとの練習試合に先発登板し、3回を完全に抑えた。
開幕2戦目で先発するプランがあったが、実際には開幕は二軍で迎えた。
5月30日の対広島戦の7回にプロ初登板し、1回1/3を投げ無失点だった。
6月6日の対中日ドラゴンズ戦では2点リードの6回に登板、2回を投げ無失点で初ホールドを記録、24日の対オリックス・バファローズ戦で1点ビハインドの7回に2番手で登板、2回を投げ無失点で、その後チームが逆転したため初勝利を挙げた。
7月19日に行われたフレッシュオールスターゲームではイースタン・リーグ選抜として8回に救援登板し2失点だった。
10月3日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で初先発し、6回0/3を投げ2失点で初先発勝利を挙げた。
2013年は開幕を一軍で迎えた。
3月31日の対北海道日本ハムファイターズ戦に先発登板し同年初勝利を挙げ、前年からの無敗での連勝を7とした。
日本人選手で、プロ初登板から無敗の7連勝は、2001-2006年に愛敬尚史が記録した8連勝に次ぐ記録で、パ・リーグにおける7連勝は、1955年の円子宏、1985-87年の松浦宏明の記録と並んで前記の愛敬と1956年に稲尾和久が記録した8連勝に次ぐ記録。
なお、4月7日の対オリックス戦に先発登板した際に負け投手となり、記録は7連勝で途絶えた。
22日の対日本ハム戦で初完封勝利を挙げた。
5月14日の対東京ヤクルトスワローズ戦に先発登板し、3回にプロ初打席に立ち、結果は見逃し三振だった。
この年、無四球試合数2は、リーグ最多だった。
2014年、開幕前に新監督の伊原春樹からクローザーに指名され、4月2日の対ロッテ戦でプロ初セーブを記録した。
しかし、チームの先発投手の駒不足もあり5月には先発に配置転換された。
その後股関節を痛めた影響で、7月6日の対オリックス戦を最後に一軍での登板がなかった。
2015年4月7日の対日本ハム戦で先発し復帰登板を果たしたが、5回を投げ4失点で敗戦投手になった。
監督選抜によりオールスターゲームのメンバー入りし、7月18日の第2戦において3番手として救援登板し、2回を投げ6失点(自責点5)だった。
この年、勝利数11と投球回…

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