村田透, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1248553 / CC BY SA 3.0

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村田透

村田 透(むらた とおる、1985年5月20日 – )は、大阪府泉南郡熊取町出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。NPB・北海道日本ハムファイターズに所属。

小学4年の時に野球を始め、当初は外野手だったが投手に転向。大阪体育大学浪商高等学校時代は1年秋からエースとして秋季近畿大会でベスト8に進出、翌年の第74回選抜高等学校野球大会に出場して1勝をあげた。

大阪体育大学進学後は肘・肩の痛みに悩まされたが、3年時の全日本大学野球選手権大会では5試合全てで抑え投手として起用され、18回2/3を投げて初優勝に貢献。自身も4勝0敗・防御率0.48の成績を挙げて大会MVPを受賞した。大学通算13勝10敗。

2007年2月に右足首の靭帯を切断・手術し、大半をリハビリに費やすことになったが、11月19日のドラフト会議で巨人から1巡目で指名される(大場翔太・篠田純平の外れ1位で指名)。ドラフト1位指名を受けた大体大の選手は2013年時点で3人いるが、巨人からの指名は上原浩治(1998年)に続き2人目。11月26日に契約金8000万円、年俸1200万円(推定)で仮契約。背番号は36で、これには「半分の18(エースナンバー)を目指せ」という原辰徳の期待が込められていた。

は一軍登板がなく、二軍でも9試合の登板で0勝2敗、防御率7.82、WHIP1.66の成績に終わった。

には移籍してきたM.中村が36をつけることになり、背番号を46に変更。この年も一軍登板はなく、二軍では26試合の登板で2勝4敗、防御率3.98、WHIP1.69の成績を残した。

も一軍登板は果たせず、二軍での登板も6試合に終わり、10月2日に戦力外通告を受けた。ドラフト1位入団ながら3年で戦力外となり、11月10日に開催された12球団合同トライアウトに参加。

2010年12月18日に、トライアウトでの活躍がクリーブランド・インディアンスのスカウトの目に止まりマイナー契約を結んだ。

はA+級キンストン・インディアンスで開幕を迎え、5先発を含む22試合に登板し、3勝2敗2セーブ、防御率2.36、WHIP0.93の成績を残し、チームのプレーオフ出場に貢献。オフはパナマのウィンターリーグに参加し、8試合の登板で防御率2.71、WHIP0.99の成績を残し、オールスターゲームにも選出された。

はAA級アクロン・エアロズで開幕を迎え、4月20日にAAA級コロンバス・クリッパーズに昇格したが、24日にアドバンスドA級カロライナ・マドキャッツに降格。5月7日にアクロンに再昇格し、6月28日にコロンバスに再昇格するも、7月2日にアクロンに再降格。コロンバスでは2試合の登板で5失点を喫するも、アクロンでは8先発を含む23試合の登板で3勝1敗、防御率2.66、WHIP1.18の成績を残しチームの地区優勝に貢献。ポストシーズンでは2試合に先発し、12回1/3を投げて2失点の好投でチームのチャンピオンシップシリーズ制覇に貢献。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加するが、5試合の登板で防御率6.06、WHIP1.84の成績を喫する。

、AA級アクロンで開幕を迎える。4月29日にAAA級コロンバスに昇格するが、4試合に先発し0勝2敗、防御率6.10、WHIP1.74を喫し、5月17日にアクロンに降格。6月16日にコロンバスに再昇格するが、1試合に先発した後再降格。アクロンでは23試合の先発で6勝6敗、防御率4.19、WHIP1.25の成績を残す。オフは前年に続きベネズエラのウィンターリーグに参加。

もAA級アクロンで開幕を迎えたが4月9日にAAA級コロンバスに昇格し、25日にAA級に降格。5月31日にAAA級に再昇格し、6月1日にAA級に再降格。7月3日にAAA級に再昇格し、24日のAAA級ルイビル・バッツ戦でAAA級での初勝利を挙げるが翌日AA級に再降格。8月3日にAAA級へ再昇格するがその後も9日まで昇降格を繰り返しAAA級でシーズンを終え、チームはプレーオフに進出。コロンバスでは12先発を含む14試合の登板で5勝3敗、防御率5.38、WHIP1.38の成績を残す。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加した。チーム…

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