カメラマン、クリエイター、カレーをスパイスから作る男──。

これらの男性は“付き合ってはいけない男・3C”であると、昨今ネット上でささやかれている。

なぜならば、Cのつく属性を持つ男性はいずれも「こだわりが強くて面倒くさい」「自意識が高い」などの傾向があるからだそう。

果たして本当に、C男とは付き合ってはならないのか…?

この物語は“Cの男”に翻弄される女性たちの、悲喜こもごもの記録である。

▶前回:金曜夜だけ会えるコンサル彼氏。月曜に「会いたい」と甘えたら、まさかの理由で断られ…

シェフの男/志保里(33歳)の場合【前編】

せめて二人が揃う日曜は、自分が夫のために料理を作って、日々の労をねぎらいたい──。

そんな想いのもと、大原志保里は慣れない手つきで中華鍋を振っていた。

「おまたせ。ちょっと焦げちゃったけど」

代々木上原の、高級賃貸マンションのダイニング。志保里が満を持して食卓に出したのは、合わせ調味料で味付けした回鍋肉だ。

お取り寄せの宇都宮餃子と、ふわふわ卵の中華スープ、デパ地下のお総菜コーナーで購入したザーサイも共に並べる。

「ありがとう。ボリュームもあるし、元気が出そうだね。いただきます」

目の前で志保里と共に両手を合わせるのは、夫の源一だ。銀座にある星付きのフレンチレストランの料理長をしている。

「…うん、おいしい!ご飯がすすむ味だ」

「合わせ調味料だけど、いいの?」

「構わないよ。忙しい志保里が、俺のために作ってくれるだけで嬉しいから」

「忙しいのはお互い様なのに…」

苦笑いする志保里に、源一は顔をくしゃくしゃにさせ微笑んだ。心から嬉しそうな表情に、志保里の心も癒やされる。

志保里は大手広告代理店でメディア関係の仕事をしている。そのコミュニケーション能力の高さと敏腕な仕事ぶりは、33歳にして大型プロジェクトの統括を任されるほど。自他ともに認めるバリキャリだ。

― そんな私がまさか、シェフと結婚することになるなんてね…。

志保里は、愛する人と共に暮らす幸せをかみしめる。

有名料理店のシェフと、オフィス街で働く広告ウーマン。接点などほとんどなさそうな二人の出会いは、およそ1年半前のことだった。

きっかけは、源一のレストランがプロデュースする冷凍食品のプロモーションに、志保里が携わったことだった。

ミーティングを重ね、何度かレストランに通ううちに、志保里は源一の熱いプロ意識と誠実さ、大らかなあたたかさに惹かれていった。源一も志保里に同じ印象と感情を抱いていたようで、交際に至るまで時間はかからなかった。

しかし、主に昼に働く会社員と、ディナータイムが主戦場のシェフというふたりだ。当然のことながら、生活時間帯はほとんど合わない。

源一の店が日曜定休のため、デートの時間はかろうじて確保できるものの、いざタイミングがずれると何週間も会えないこともあった。

「──いっそ、結婚しようか」

共に暮らそうという話が出た時、その流れで源一からのプロポーズがあった。

当時、源一は39歳。志保里も32歳で、タイミング的には申し分ない。拒否する理由もなかったため、志保里はその場で源一の申し出を受け、半年前に源一の勤めるレストランで式を挙げたのだった。

生活時間帯も違う、忙しいふたり。共に暮らすようになって1年近くが経つが、夫婦と言うよりも同居人のような関係性になってしまっていることは、否めない。

だが、仕事を第一とする志保里の気持ちを、同じように料理に人生を賭けている源一は、十分に理解し尊重してくれている。

結婚前の話し合いでも、『お互いが自分らしく過ごせるのであれば、子どもはいなくてもいい』『仕事優先はお互い様』『家のことは助け合い』という条件で一致したのだ。胸を張って完全に対等な関係だと言い切れる。

むしろ、日中家にいることが多い分、洗濯や料理などの家事は源一が率先してやってくれているくらいだ。源一がいつも志保里のために作りおきしてくれる夕食は、ひとりで食べるのがもったいないほど、手の込んだ絶品ばかりだった。

― だけど、これでいいのかな…。

カーテンの隙間からさしこむ朝陽で目が覚めた、午前6時。

志保里は、いまだいびきをかいている源一の寝顔を見ながら、キングサイズのベッドから体を起こした。源一はいつもお昼頃に出勤し、深夜まで仕事する。

この生活には十分満足している。自分らしく生きるのに、何の不満もない環境だ。

しかし、今後のことを思えば──お互いの多忙でさらなるすれ違いを生まれそうな不安が、僅かに存在していた。今はまだまだ、新婚で熱のある状態。今はなんとか乗り越えられているのは、その熱のおかげだと志保里は思っている。

― 源一との時間をもっと増やしたいけど、この会社にいる間は生活は変えられないし…。彼も仕事柄、これ以上時間を増やすのは難しい。どうすれば…。

そんな時、不意にスマホを眺めると、あることに気が付く。

「…ん?あれ?」

懐かしい名前からLINEが届いていた。

連絡をくれたのは、かつての同僚の葉奈だった。

葉奈は志保里の新卒の同期で、2年前に代理店を退社し、今はネット広告系のベンチャーを起業している。

「志保里。あなたの能力が高いことは、同期の私がよく知ってる。だけどこのままだと、会社に埋もれちゃうと思うのよね」

呼び出されたレストランの個室で、葉奈は熱く語る。

「え…それは、どういうこと?」

「つまり、うちの会社に来て欲しいの。相応のポストと待遇を用意するから」

「相応のポストと待遇…」

葉奈の会社の事業は、志保里も興味のある分野だ。しかも、本気度がうかがえる彼女の熱量…。心が揺れ動かないわけはなかった。

葉奈がパートナーと共に経営している会社は、15人前後というコンパクトな規模ながら、急成長中のベンチャーだ。業務拡大を図るためのピースとして、志保里の存在が不可欠だという。

「報酬も十分用意する。しかも、仕事や働き方の自由度が高いことが、ウチで働く一番のメリットだと思うの。福利厚生や働き方の制度はまだまだだけど、できる限り志保里の要望に応えるつもりよ」

仕事の自由度が高い…。それは、能動的な性格の志保里にとって、何よりも魅力のある言葉であった。

少数精鋭という不安はあるが、大手企業の仕事も積極的に受注しており、将来性も十分にある。

忙しくなりそうだが、働き方に自由が利くのであれば、むしろ今よりも源一と過ごす時間を作れるのではないか。そんな考えが、志保里の脳裏をよぎった。

「考えておくね」

志保里は手元のシャンパングラスを笑顔で掲げた。それは、限りなくYesに近い保留だ。結婚している以上、生活を共にする相手にも相談して、了解をとっておかなければならないから。

葉奈の方も志保里の言葉を、同じ理解で受け取ったようであった。

「ごめんな、今日も遅くて…」

その夜、0時過ぎに帰宅した源一は、帰るなりベッドの中でまだ起きていた志保里に謝罪した。

「いいのよ。私も友人と会食していたから、さっき帰ってきたところ」

「そうなんだ。誰と?」

「会社の元同僚。久しぶりで話弾んじゃった」

志保里はさっそく身体を起こした。例の件を相談するなら今がチャンスだ。

だが、源一の様子はどこかおかしかった。大きくため息をつき、ベッドにどっしりと腰を掛ける。それは何かを決意したような、深刻そうな表情だった。

「…どうしたの?何かあった?」

志保里は相談の言葉を飲み込んで、源一の顔をのぞく。すると源一は、そのまま押し倒すようにして、志保里をきつく抱きしめたのだった。

「ん…ちょっと」

源一の唇を迎え入れた志保里は、彼の獣のような瞳の艶っぽさに、思わず胸の高鳴りをおぼえた。

いつもであれば、「翌日仕事があるから」と、拒否をするところだ。けれど、葉奈との食事でアルコールが入っていた志保里は、感情に従ってそのまま身をまかせた。

大きな腕の中で源一の体温を感じていると、耳元で彼が囁く。

「なぁ、俺たち…そろそろ子どものこと、考えないか?」

「え…?」

驚いて身体を離すと、そこには源一の真剣な目があった。

「いなくてもいいっていう約束だったけど、それって、いてもいいということだよね。俺も最初は、志保里がそばにいてくれるだけでよかった。だけど…」

「…」

「志保里への気持ちが深まるにつれて、幸せに欲張りになっている自分に気づいたんだ」

源一の訴えは、志保里の中にあった確固たるものを混乱させた。

つい30分前まで、ハッキリ想像できていた1年後の自分の姿。それが、今はすべてがリセットされてしまった。

「志保里は、どう?」

正直、何の想像もつかなかった。ただ、愛する夫の真剣な訴えには、グッと来てしまった自分がいる。

― 葉奈のオファーを受けるつもりだったけど…。

志保里は源一の瞳を見つめる。

そして、ゆっくりと自分の意志を告げたのだった。

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