(画像:米津玄師 Instagramより)

 ガンダム最新作の主題歌「Plazma」とアニメ『メダリスト』のオープニング主題歌「BOW AND ARROW」を立て続けにリリースした米津玄師が『音楽ナタリー』のインタビューに登場。その中で「べらぼうに面白い」と言及した『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』(著 竹内洋 中公新書)が再び売上を伸ばし、重版がかかるほどの反響を呼んでいます。

◆米津玄師、哲学者ニーチェに言及すれば話題に

 この本は、“多くの書物に触れ知識を得て、それを社会のために還元していく”という、かつての大学では当然のものとされていた教養主義が、1970年代以降衰退していく様を社会学的に分析しています。

 また同インタビューでは、80年代に『構造と力』がベストセラーとなり、“ニュー・アカデミズム”を牽引した哲学者の浅田彰氏がニーチェの「超人」について論じた文章についても触れています。

 これも“ドイツの哲学者ハイデガーとフランスの哲学者ドゥルーズの「超人」解釈の違いを解説した浅田の37年前の文章のことでは?”などとネット上で注目を集め、いまやミュージシャンという枠を超えたインフルエンサー的な存在になっていると感じます。

 もちろん、影響を受けた本や映画など、音楽以外のことを語るミュージシャンは米津だけではありません。米津よりもさらに詳しく、深く探求している人もいるでしょう。けれども、ここまで大きなムーブメントを起こせる人は米津だけです。

 その違いはどこにあるのでしょうか?

◆話の内容以上にカリスマ性からくる驚きが重要

 月並みな言い方になりますが、何よりも大きいのはカリスマ性の有無です。より正確に言うならば、孤高であり、他人と群れない存在であるということですね。

 もっとも、周囲がそうしたイメージを抱くことを、本人は否定するかもしれません。実際には社交的で楽しいことが大好きかもしれない。

 しかしながら、ミュージシャンやアーティストは、“人からそう見られること”をあえて有効的に活用できる部分もあります。とがったビジュアルと低い声でゆっくりとしゃべる語り口があいまって、そこには神秘性が帯びてくる。その姿が浮かぶから、「ニーチェ」というワードにプレミア感が生まれるのですね。

 つまり、話の内容以上に、“あの米津玄師からニーチェ、浅田彰の名前が出た!!”という驚きこそが重要なのです。

◆語りすぎない態度がかえってインパクトを強める

 また、米津は語りすぎないという美点も持っています。物事の大枠はつかむけれども、それ以上は深追いしないのです。

 たとえば、インタビューの中で浅田彰によるニーチェの「超人」解釈を、<「超人」にある強者性というのは、決して自分を顧みず、誰の言うことも聞かず、自分の我を通したいがために動くようなものではない。>というものであって、苦痛や不安を経験しても、自分という存在の外に向かって意識を開いていくことができる人のことを「超人」と呼ぶのだと、解説しています。

 そしてそうした感覚を自分の人生の振り返りととともにリンクさせて、実感をともなった体験として読者と共有する。

 ただし、そこまで、なのです。関連して別の書籍や文献を引いたりして、解釈をさらに解釈するようなことはしない。そのさっぱりとした態度が、かえって浅田彰とニーチェを引き合いにだしたことのインパクトを強めている。

 あとは、哲学や思想に詳しい人達が勝手に騒いでくれるというわけですね。

◆尾崎豊は思想家の影響を反映し80年代のアイコンに

 さて、今回のインタビューと、社会に与える影響を見て思い出すのが、尾崎豊です。

 尾崎も哲学者の柄谷行人や思想家の吉本隆明からの影響を作品に反映させ、自身のカリスマチックなイメージとともに80年代のアイコンとなりました。「LOVE WAY」という曲には、<真実なんてそれは共同条理の原理の嘘>という歌詞もあり、吉本の本から大きなインスピレーションを得たことがうかがえます。

 尾崎も米津も、鋭いビジュアルでミステリアスな雰囲気を漂わせている点では共通しています。そんな時代を隔てた彼らが浅田彰や柄谷行人に言及しているというのは、興味深い現象です。

 いずれにせよ、米津玄師の曲には、音楽に限定された小手先の技術や知識だけではない、実存的な核のようなものがあるのではないか。

 そんな信念も垣間(かいま)見えるインタビューでした。

<文/石黒隆之>

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4

Write A Comment