亜希さんInstagramより

一世を風靡したモデルで、清原和博氏の元妻としても知られる亜希さんが、昨年末に新刊『人生はプラマイチャラ』(幻冬舎)を出版しました。表紙の帯は、シワもソバカスも隠さない笑顔のアップです。

◆着飾った女より、笑いを作り出せる女

55歳になった今、人生の喜びも苦しみも経験してきた彼女の言葉には重みがあります。例えば年齢を重ねることについて――(同書より)。

「不幸の香りがし始めた頃ぐらいから、私、美味しくなってきたと思う。(笑)」

「私のモデルの賞味期限は50歳だった。
今、55歳。腐ってはいないけど発酵した(笑)。
ちょうど美味しくなってきたはず」

「着飾った女よりも、笑いを作り出せるほうが、圧倒的にイイ女!」

思わずドキッとする言葉ではないですか? このような“名言集”をベースに、彼女の人生観がユーモアを交えて語られています。

◆清原和博氏との離婚から約10年

亜希さんといえば、15歳でアイドルデビューしたのちモデルとなり、39歳から女性誌『STORY』の表紙を2年間飾るなどトップクラスの人気を誇りました。しかし、その華やかな経歴の裏には、両親の離婚、15歳での上京、母との死別、結婚と離婚、シングルマザーとしての奮闘など、数々の試練がありました。

特に注目を集めたのは、プロ野球のスーパースター選手だった清原和博氏との、結婚と離婚です。
2000年に結婚し、2014年に離婚。離婚成立前から、清原氏の素行不良や引退後のタレント活動の行き詰まり、不倫、DV、薬物使用の疑惑が報じられていました。2016年には覚醒剤所持・使用で逮捕され、有罪判決を受けます。後に清原氏自身が、結婚期間中から薬物中毒で、緊急搬送されたこともあったと明かしています。

いまどき離婚はザラだけれど、ここまでの地獄を見た妻は少ないでしょう。セレブ妻の憧れの的だった彼女が、実は修羅場にいたことを、世間は面白おかしく話題にしたものです。
その後、2人の息子のために作る料理が評判を呼び、YouTubeやテレビで料理家としても発信しています。

◆強さの源は、幼少期にあり?

波乱の人生を送ってきた亜希さんですが、強さの源は、福井県での幼少期にあるのかもしれません。父親はかなりファンキーな人だったらしく、小学校3年生の頃に両親が離婚。同書にはこう書かれています。

「父、サブローは本当にいい人ではあったが、賭け事が好きで、仕事も続かずにいた。ちょっと儲かったと思ったら寿司の折詰めをプラリと持って帰ってくる」

両親の離婚後は、風呂なしの県営住宅ぐらしになったそうですが、こうも書いています。

「離婚して兄と三人暮らしになってからの方が、家の中は断然明るくなった。母も前より生き生きしてた。気持ちが楽になったんだと思う」

◆振り返れば、人生はプラマイチャラ

亜希さんも離婚後、「『清』の字を見るのも嫌だった時期があった」(’24年1月『徹子の部屋』より)のが、少しずつ元夫と交流するようになったそうです。その最初のきっかけは、同書によると義母(清原氏の母)の死だったそうです。

義母の死の連絡を受けて、会いに行くか悩んだけれど、翌日には飛行機に乗っていたと。
亡くなった義母の体をさすりながら、「今までの感謝と、それ以上に清原さんの悪口をたくさん聞いてもらった(笑)」。

さらに、野球をやっている次男が「お父さんに野球を教えてほしい」と言い出したことで、元夫と「自然な形で会うようになった」(『徹子の部屋』より)といいます。

同書は、デジタルメディア「幻冬舎plus」での人生相談がきっかけとなって生まれたそうです。そこから印象的な言葉を抽出し、さらに新たな言葉も加えられているとか。

人生には、とても幸せな時期も、絶望のなかでもがく時期もある。人を愛することも憎むこともある。でも後で振り返れば、だいたいプラマイチャラぐらいになる――亜希さんが紡ぎ出す言葉は、読者の心に響くはずです。

<文/溝口ゆかり>

Write A Comment