信長は、家康を自分の家来にしておらず、ずっと同盟者、パートナーとしました。なぜ、信長が家康との同盟を維持したのか、理由があります。家康が信長のパートナーだったことで、家康は秀吉に対しても、大きな戦いを挑むことになりました。

8 Comments

  1. 家康を家臣以下の扱いをしているのに、家臣に昇格させる訳がない。 明智、柴田、羽柴、丹羽と同格にする訳がありませんよ。 信長にメリットがない。 そもそも、家康を殺しても三河は手に入らない。 殺して手に入るなら人質時代に織田信秀、今川義元が殺してるでしょ。 ゲームなら領主を殺せば土地が手に入るけど、実際にはそうじゃない。

  2. 1575年の段階で事実上の
    天下人となった信長は直接関わる
    必然性がないから、家康に対して
    同盟関係を維持しただけのこと。
    むしろ1582年の段階でもはや
    邪魔になったから接待の名目で始末したのが真相だと私は思いますね。

  3. 武田勝頼をやった直後に信長から恩賞を賜っているから極めて家臣に近い与力になりました。
    ま、徳川家康信者からしたら永遠の五分にしたいのでしょうが。

  4. 近年、小和田氏、柴氏、平山氏ら著名な研究者達が長篠の戦いの前くらいから、家康が信長へ示す態度(手紙の書き方など)が以前とは変わってきており、この頃から対等な関係から服従の関係に変わってきているという研究が出されですよ……
    またそれは武田征伐の際、家康が信長為に御座所を造るまでに至っており、完全なる家臣として振る舞ってることもです。

    7:48
    ってか、別に悪いと言うつもりはないですが、
    そもそも歴史学者でもない、一素人が家康の家臣団の気持ちを推測で話し、歴史学者の講演みたいに話すのが凄い違和感を感じる。そう思う根拠というか史料を提示したり、これが〇〇氏の説とか言うならわかるけどさ。

Write A Comment

Pin