2023年のカンヌ国際映画祭で上映された唯一のロシア映画として大きな反響を呼んだロードムービー『グレース』が10月19日よりシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開される。

 今回解禁された予告編映像では、ロシア南西部の辺境、乾いた風が吹きつけるコーカサスの険しい山道、息が詰まるような停滞感に覆われたロシア辺境を、ヴィム・ヴェンダースの初期作品やアンドレイ・タルコフスキーを彷彿とされると評された映像美で映し出す。

 母の不在のなか、寡黙な父と錆びた赤いキャンピングカーで、2人だけの日銭稼ぎを続ける日々。そんな中、思春期の不安を抱える少女の、ここではない何処かへという心の機微、さまざまな出逢い、思春期の不安を抱える少女の姿を切り取っている。父親への反発、思春期の戸惑い、そして終わりの見えない旅路。彼女が漂流する先には一体何が待ち受けているのだろうか。

 撮影されたのは2021年秋、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が本格化する少し前――。監督・脚本を手掛けたのはロシアのドキュメンタリー出身の新鋭イリヤ・ポヴォロツキー。“ロシア映画”を締め出す世界的な動きが強まる中、2023年のカンヌ国際映画祭の監督週間に見事に選出された。

 ポヴォロツキー自身は、カンヌ国際映画祭の会見でも言及しているように、ロシアによるウクライナ侵攻と政府の方針に対して明確に反対している。リベラルな表現者を自認する彼の関心は、ロシア周縁の人々の暮らしと尊厳を映像の力によって美しく厳かに描き出す事にあり、その確固たる姿勢は初めてのフィクション映画となった本作にも現れている。

 果てのない荒涼とした外部の風景と、狭苦しい車の内部をそれぞれ完璧なフレーミングと⻑回しで切り取る空間設計は圧巻。灰色と深緑の荒い粒子が印象的な 16mm のフィルムには荒廃した風景が写りつつも、娘が着る衣服の明るさを際立たせるなど、全編を通して陰鬱さの中にも不思議な暖かさが宿っている。アンドレイ・タルコフスキーをはじめとする偉大なロシアの先人たちや、ヴィム・ヴェンダース初期作のような雰囲気を漂わせながら、ロシア辺境の大地と人々を独自の感性で描写した。

 意図的には描かれないものの、徐々に不穏と暴力がその映像の粒子に侵食していくようなこの映画から、現在も続く戦争の影を感じる事は避けられないだろう。既に何かをあきらめてしまったような表情を浮かべる娘は、この国の行く末、そのただならぬ気配を感じていたのだろか。母親も友人もいない。自分を守る家も法もない。生ぬるい共感や哀れみに一切なびくことなく、彼女はただやり場のない感情を沸々と溜め込んでいく。この果ての無い放浪の先に彼女を救うものはあるのだろうか。剥き出しのロシアの大地を舞台にした小さくも揺るぎない抵抗の軌跡は、私たちに美しい余韻を残すだろう。

監督・脚本:イリヤ・ポヴォロツキー
撮影:ニコライ・ゼルドビッチ
音楽:ザーカス・テプラ
出演:マリア・ルキャノヴァ、ジェラ・チタヴァ、エルダル・サフィカノフ、クセニャ・クテポワ
原題:Блажь|Blazh
日本語字幕:後藤美奈
配給:TWENTY FIRST CITY
配給協力:クレプスキュール フィルム
[2023年/ロシア/ロシア語、ジョージア語、バルカル語/119分/カラー/ヨーロピアンビスタ]

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