ラトビア出身のクリエイター、ギンツ・ジルバロディスが手掛けた映画『Flow』が2025年アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞。本作は無料の3DCG制作ソフト・Blenderを使用して、長編アニメとしては少人数のスタッフ編成で作られた。元々はひとりで映画制作を始めたというジルバロディス監督がBlenderを選んだ理由や本作のために構築したワークフローとは?
構成・文●編集部 萩原


監督 ギンツ・ジルバロディス Gints Zilbalodis
1994年ラトビア生まれ。幼少期から映画制作を始め、16歳で初のショートアニメ『Rush』を制作。初長編『Away』は資金集めをはじめ、監督、編集、音楽全工程をひとりで手がけ国際的な評価を得る。2作目となる『Flow』はアカデミー賞長編アニメ賞、ゴールデングローブ賞アニメ映画賞など世界的な映画賞を多数受賞。
『Flow』
3月14日(金)
TOHOシネマズ 日比谷他にてロードショー
■作品概要
第77回カンヌ国際映画祭“ある視点”に出品され、第97回アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞したアニメーション。大洪水で居場所を捨て、旅に出ることを決意した猫が、ボートに乗り合わせた動物たちと危機を乗り越え、徐々に友情が芽生える様を描く。監督はギンツ・ジルバロディス。音楽は、リハルズ・ザリュペが担当した。
■DATA
●監督・製作・脚本・編集・音楽/ギンツ・ジルバロディス
●製作/マティス・カジャ、ロン・ディアン
●脚本/マティス・カジャ
●音楽/リハルズ・ザリュペ
●アニメーション監督/レオ・シリー二・ペリシエ
2024年/ラトビア、フランス、ベルギー/カラー/85分 配給/ファインフィルムズ
©Dream Well Studio, Sacrebleu Productions & Take Five.
●公式サイト
Blenderでの制作を決めたのはリアルタイムレンダラーEEVEEの存在
映画『Flow』は、暗灰色の猫とその仲間たちの旅を描いた長編アニメーション映画だ。50人以下の小規模な独立チームによって制作され、2024年カンヌ国際映画祭では「ある視点」部門でプレミア上映を飾り、2025年アカデミー賞では『インサイド・ヘッド2』や『野生の島のロズ』など並み居るハリウッド大作をおさえて長編アニメ賞受賞。さらに、2025年ゴールデングローブ賞アニメ映画賞を受賞など世界の映画祭で60以上の賞を受賞しており、話題を集めている。
監督のギンツ・ジルバロディスは、元々手描きの2Dデジタルアニメから創作活動を開始したというが、モデリングやカメラワークの自由度の高さから3DCGに転向した。デビュー作の『Away』はMayaを使用して全編ひとりで長編映画を作り上げ、話題を集めた。その後、本作の制作が決まり、2019年にBlenderへの移行を決断した。その決め手となった主な要因は、Blender 2.8から搭載されたリアルタイムレンダラーEEVEEの存在だったという。
最終レンダリングも監督のPCで
▲『Flow』は全編Blenderで制作され、EEVEEでレンダリングをした。4Kでの1フレームのレンダリングに約0.5〜10秒かかった。レンダーファームは使用せず、最終レンダリングは監督自身のPCで行なった。コンポジットはせず、すべての色調整はシェーダーを使用するという革新的なアプローチを採用した。動画を観る
5年の制作期間と少人数チームのために試行錯誤して作り上げたワークフロー
作品の制作期間は5年に及んだ。2019年から始ま った初期段階では、ジルバロディスは脚本執筆とBlenderの習得、そして資金調達活動に専念した。2020年には資金を確保し、物語の核となる、水のシミュレーション専門家のマルティンス・ウピーティスやコンスタンティン・ヴィシュニェフスキスらと出会い、Dream Well Studioを設立。
映画のために作られたスタジオ
▲『Flow』のために設立したDream Well Studio。このスタジオには全体で15〜20人ほどいたが、プリプロとポスプロを異なるチームが担当したため、通常作業をしているのは3〜5人だったという。
そこから映画の制作が本格的に開始された。この時期に1分半のパイロット版を制作し、ワークフローの検証を行なった。2021年にはコンセプトアーティストやカスタムスクリプト開発者を採用し、効率的なワークフローを試行錯誤を繰り返しながら確立していった。2022年からは、ベルギーとフランスの制作会社が参加し、音響をはじめ、キャラクターアニメーション用のツールやリグを改良するなど、国際的な制作体制が整えられていった。
ハリウッド超大作のアニメーション作品が数百人以上のスタッフを動員し、数百億円規模の予算で作られているのに対して、『Flow』のスタッフ数は50人以下。約6億円以下の予算で制作されている。ジルバロディスは独立制作ならではのアプローチとして、大手スタジオの方法論をそのまま踏襲するのではなく、小規模チームに適した独自のワークフローを確立した。
ラトビアのDream Well Studioでのコアチームは15〜20人程度で、常に作業をしているスタッフは3〜5人という小規模な構成だった。制作体制の特徴として、ひとりのスタッフが複数の役割を担当し、効率的な作業方法が採用された。また、コンセプトアートの作成を最小限に抑え、直接Blender上でプリヴィズを作り、3Dでキャラクターをモデリングするなど、工程の効率化と役割の柔軟な分担を重視した。
プリヴィズと完成形
▲アニマティック(プリヴィズ)と完成形を比較した映像。本作ではストーリーボードは作成せず、すべてのシーンは Blender上でプリヴィズを作り、3D で直接設計されている。
本作ではライティングは監督ひとりが担当していた。他のスタッフは別の作業を行なっていたため、ライティングに関する判断はすべて監督に任されており、これにより作業がシンプルになったという。各シーンごとのファイルで、ライティングの調整のためにアセットの素材の明るさを微調整するなど、広範な調整を行なった。
ライブラリのオーバーライドでこれらの調整が可能なことは知っていたが、デスクトップPCとMacBook Proを使い分けて作業しており、異なるOSを切り替えて作業すると、相対パスを使用していてもリンクされたアセットに問題が発生することがあった。そのため、リンク切れを防ぐためにすべてのデータをファイル内に保持することにした。
本作で使用した主なアドオンとしては、植物など環境要素の配置にGeo-Scatter。キャラクターのアニメーションではなく、カメラワーク用としてAnimation Layersを使用した。その他には、Baga Pie Vegetation Generator、Baga Pie Rain Generator、Copy Global Transformなどが活用された。特に水のシミュレーションでは、Cell FluidsとFLIP Fluidsを組み合わせることで、効果的な表現を実現できたという。水の質感のために独自のアドオンも開発している。
たったふたりのスタッフで作り上げた水の質感
▲映画の重要な要素である水の表現は、たったふたりのスタッフが担当。マルティンス・ウピーティスは水のシミュレーション用アドオンを開発し、コンスタンティン・ヴィシュニェフスキスは水しぶきや毛皮、羽毛の表現技術とシェーダー開発を手がけた。動画を観る
動物たちの見事なアニメーション化とフランス・ベルギーのアニメーションチーム
本作のアニメーションは、ラトビアで行なったいくつかのテストを除き、フランスとベルギーで制作された。ほとんどの作業はフランスで行われ、若いスタッフが多く参加している。ギンツ・ジルバロディス監督は本作の制作を振り返って「実に刺激的でした。彼らはみんなやる気にあふれ、才能があり、最高の仕事をすることに余念がありませんでした。みんな自分の力を証明しようと、熱心に仕事をしていました。面白いのは、彼らがよく猫の動画を見ていたことです。彼らにとってはリサーチが重要ですからね」と語る。
スタッフたちは、キャラクターの動きを自然にするために、猫や犬の動画、その他の動物の膨大なライブラリーを参考にしていたという。また、効果音についても、動物の声まねをする声優は一切使わず、すべて本物の動物の鳴き声を使っている(カピバラには子ラクダの、クジラには虎の鳴き声を代用したという裏話も)。
動物の声の録音風景
▲本作に登場する動物たちの声はすべて実際の動物の声を録音したもの。音響デザイナーのグルワル・コック=ガラスが録音・整音を担当。主人公の猫の声は彼の飼い猫によるもの。
VIDEO SALON 2025年 4月号から転載