鹿島アントラーズの成り立ち、誕生秘話。
1993年Jリーグ開幕

24 Comments

  1. 何が10位じゃ困るだ。今までの鹿島の歴史の中で二桁順位は一回だけなのにな。

  2. 今、知りたいこと。川淵さんに0.0001パーセントの可能性を聞いた担当者って誰なんだろう。その人は英雄だよ。そうでなければ鹿島アントラーズは生まれてないんだから。

  3. 企業が求められる
    やり切る力と維持継続するための基盤作り
    PDCAサイクルが
    しっかりと廻っているから
    地域の方、全国のサポーター、スポンサー、チームの
    一体感があると思います。
    だからこれからも応援します。

  4. この出来事が、来年開幕するラグビーのプロリーグに釜石シーウェイブスが参加する機運になったらいいな。

  5. 広島とは何もかもが正反対だな。同じ年にプロとして一緒にスタートしたのに。

  6. アントラーズと鹿島町その周辺との関係はすごいものありますね。

    だけど開幕当時ユニフォームやグッズなどに全く地域名を入れずに地域をないがしろにした某チームは未だにJ1に戻れない💦

  7. おかしなことを言ってるのがいるが、鹿島の成功は断じて裏目ではないし、財政基盤がプロレベルにないクラブがJリーグに加盟出来てることも何一つ問題ではない。裾野を広げることの方が大事だし、財政基盤が固まってないから何だ。固めようとして固まるものでもない。

  8. 一切期待されてなかったチームが1stステージ優勝を果たした
    どのチームが優勝、降格するのか予想のつかない
    jリーグの混沌ぶりはここから始まった

  9. おそらくアントラーズがなければ鹿島市の存在など一生知らなかっただろうなあと思う。

  10. 0.0001%可能性があるんですか!?
    屋根付きのスタジアム作ればいいんか!
    よっしゃやったろ!!
    って、なにこの無鉄砲な主人公感。
    かっこよすぎんだろ!

  11. 磐田と清水も結局は1万5千入るスタジアムがあるかないかで清水に決まったからな~
    あと横浜に2チームは要らなかった。フリューゲルスが九州に本拠地を置いていたら消滅することはなかった

  12. ジーコが入団を決断した理由にジェフは監督兼選手というものだったらしいです
    金額は鹿島の方が遥に低い額だったのですが 何しろジーコがどれだけすごい選手なのか
    よく分かってなかったらしく、選手でチームを勝たせてくださいという熱意に折れたのと
    クラブハウスとスタジアムのデザインをしてもらえませんか?というお願いがあったそうです
    ジーコ本人も「何言ってるんだお前ら?」と最初は冗談だと思ってダメ元で色々注文付けたそうです
    ジーコの注文通りにスタジアムもクラブハウスも建てられて、ヤバイ、優勝出来なかったら俺は
    ブラジルに帰れないんじゃないか?って震えたそうです
    何しろ スタジアム クラブハウス チームをジーコの好きなように作り あとはお願いしますと
    ジーコに託したというのが、今では考えられないことです

    地元の人の話では住金時代はクラブハウスもなかったので練習後に会社の風呂をジーコは利用していました
    当然 住金の社員の人も利用していたのですが みんな出稼ぎに来ている外国人だと思ってたらしく
    入浴中に若い選手にイタズラされてるのをみて不憫に思い 風呂上がりに居酒屋に連れて行ったそうです
    人の良いジーコは日本語全然わからないのに一緒に行って飲んでいたそうです
    それくらい当時は町民の誰もがジーコを知らなくて、後々、テレビ見て驚いたそうです

  13. その後最下位どころか、20冠の横綱になり、2桁順位で終えたのは1度だけというバカ強いチームになってもうたぞ

  14. 町おこしとしては大成功ってレベルじゃないよな。

  15. ところで、鹿嶋市はもういい加減、鹿島市としましょう。確かどこかの同名の市町村から被るからやめてくれという経緯だったと思いますが、鹿嶋なんて意味もゆかりもない。

  16. そして完成した県立カシマサッカースタジアム。「よっしゃ!作ったれ」と即決した当時の県知事のリーダーシップと決断力、即決力。「税金の無駄使い」とか言い出して反対運動するアホがいなかったこと。全てが上手く回った。