明治末期から大正時代に六甲山麓を舞台に花開いた芸術文化を「阪神間モダニズム」と呼びます。
宝塚歌劇はそのような時代背景の中で生まれました。

【宝塚歌劇団のルーツ】
宝塚温泉の中で、閉鎖された「室内プール」を改築し、代替として作られたのが「少女歌劇」で、それが今の宝塚歌劇団の始まりです。

室内プールが、客に不評だった理由は、
①当時(明治末期〜大正初期)、まだ男女がプールで同浴することを不謹慎とする風潮があったため。
②室内であるため、プールに日光が当たらず、水が常に冷たい状態だった、ためです。

→海外の室内プールは、プールの底に蒸気が通る鉄パイプを通し、水温調節されていました。
そのことを阪急の幹部が知らずに、リサーチ不足のまま、室内プール施設を導入してしまったのが失敗の原因です。

【宝塚の海外公演】
・イタリアでは、独裁者のムッソリーニも、宝塚の公演を鑑賞しました。
・航海の船上で、カナダのバスケットボールチームと劇団員が仲良く接したことが、大々的に日本で新聞報道され、大きなバッシングを受けました。

※欧米の象徴のような宝塚歌劇団に対して、
軍国主義の時代、憲兵などから何度も理不尽な命令や、いやがらせを受けました。
関係者は、時局に合わせた公演に変更したり、時には、劇団員の父親の将校の名前を出すなどして、
憲兵に見逃してもらうなどの努力をしました。

※宝塚大劇場の近くには、漫画家の手塚治虫が住んでいました。
そのため、作品中に宝塚少女歌劇の影響を受けている箇所が数多く散見されます。

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