13年前津波で両親失った6歳の少年が二十歳の誓い 育ててくれた祖母への感謝<岩手・陸前高田市> (24/01/17 22:15)

先日陸前高田市で開かれた二十歳のついに 6歳の時津波で両親を失った男性が出席し ました愛情いっぱいに育ててくれた祖母へ の感謝を胸に迎えた節目の日を取材しまし [拍手] た3月に二十歳を 迎える 日陸高市の二十歳のいに袴姿で出席しまし た心も引きしまって腹も引きしまってるん ですけどまあでもま切れてよかったなって 思い ます震災で両親を失ったハルトさんはこの 日を支えてくれた人たちへの感謝の思いで 迎えまし た13年前津波で父久さんと母翔子さんを なくしたハト さん震災直後の避難所では両親が行方不明 だったにもかわらず兄のよさんと一緒に 一生懸命みんなを支えまし [音楽] た終わっ た共に避難した母方の祖母いこさんは2人 を温かく見守っていまし た頑張ってるから また本人のおの顔も見れない から明るく振る舞う兄弟の表情の裏には ある願いが隠されていたの です来てくれると思っている頑張って たら立っていればがつけて くれるそう信じて兄弟は常に振舞い続け ましたが願いは届きませんでし [音楽] た高校を卒業したハルトさん将来は地元に 就職し町の発展に役立ちたいと考え仙台の 大学に 進学街づくりや防災の知識を学べる地学を 学んでい ますこの年末年始には二十歳のついに出席 するため地元の陸前高市に戻ってきました 入ってこうやってずっとスホこやって自分 が二十歳なるって時間あんまないですけど でも本当なんか早かったなって感じます これからはもう自分の力でやってかなきゃ いけない年なんだなって思い ます1人暮らしのいこさんハルトさんが 帰ってくると嬉しそう [笑い] ですちゃんからしたらま自分の子供も含め て俺たち俺と兄ちゃんだとま2回目の 子育てになったと思うんですけど本当に もう中学校こはずっと迷惑かけたと思うん です けど夕ご飯はハルトさんが大好きな豚汁に しましたいただき ますうん

普段あんま仙台て豚汁食うこと全然ないん でたまに定食屋行ってセットで頼むかな ぐらい ですでもやっぱばあちゃんの作ったやつが 一番 美味しい二十歳の集いを前に6歳の時から 育ててくれた祖母へ感謝を伝え ます明日で私私成人式ですよ めでばあさんのおかげ です みみねたくさん目はかけてきたけどさな ないつもありがとう ね稼ぐようになったらなんか買ってやっ から今の気持ちを素直に伝えた さんのが溢れていまし [音楽] たそして式 当日震災発生当時は小学1年生だった遊 たち共に苦難を乗り越えこの日を迎えた 喜びを分かち合いまし た子さんが持っていたのはハルトさんの 両親久さんと翔子さんの写真 りりしい晴れ姿を見せていまし た式を終えハトさんは2人の名前が刻まれ た国名費を尋ねまし た今日でま人生の節名になると思うんです けどまその震災とか色々ありましたけど 二十歳 をちゃんと健康で迎えられたっていうのを ちゃんと報告しまし たこの将来は地元の魅力を発信する仕事に つきたいというハルトさんはこれまで支え てくれた人たちに感謝し決意を新たにして いまし た何かしらの形でま地元貢献できたらいい のかなっていう風に思いますしまそうやっ てまちゃんとしてたらその今までして くださった方のま恩返しというか自分は 頑張ってるよっていう安心し姿を見せて 安心させることできるのかなって思い ます13年間の感謝から生まれた二十歳の 誓い故郷への思いが未来を照らしてい ます

1月7日、岩手県陸前高田市で開かれた二十歳のつどいに、6歳のとき東日本大震災の津波で両親を失った男性が出席した。
愛情いっぱいに育ててくれた祖母への感謝を胸に迎えた節目の日を取材した。

3月に二十歳を迎える及川晴翔さん。

1月7日、地元・陸前高田市の二十歳のつどいに、はかま姿で出席した。

及川晴翔さん
「心も引き締まってるし腹も引き締まってるけど、着られて良かった」

東日本大震災で両親を失った晴翔さんは、この日を支えてくれた人たちへの感謝の思いで迎えた。

13年前、津波で父・徳久さん(享年39)と母・昇子さん(享年39)を亡くした晴翔さん。
震災直後の避難所では両親が行方不明だったにも関わらず、兄の佳紀さんと一緒に一生懸命みんなを支えた。

兄の佳紀さん(当時9歳)
「晴翔、あっちの手伝い終わった?」
晴翔さん(当時6歳)
「うん終わった」

ともに避難した母方の祖母・五百子さん(当時68歳)は、2人を温かく見守っていた。

祖母 五百子さん(当時68歳)
「頑張っているからよろしいです。まだお母さんとお父さんの顔を見ていないから」

明るくふるまう兄弟の表情の裏には、ある願いが隠されていたのだ。

兄 佳紀さん(当時9歳)
「(両親は)来てくれると思う。頑張っていたら…」

「目立っていれば両親が見つけてくれる」そう信じて兄弟は気丈に振る舞い続けたが、願いは届かなかった。

高校を卒業した晴翔さんは、将来は地元に就職し街の発展に役立ちたいと考え仙台の大学に進学、まちづくりや防災の知識を学べる地域学を学んでいる。

この年末年始(2024年)には、二十歳のつどいに出席するため地元の陸前高田市に戻ってきた。

及川晴翔さん
「自分が二十歳になる実感はあまりないが、本当早かったなと感じる。これからは自分の力でやっていかなくてはいけない歳だと思う」

一人暮らしの五百子さん(81)は、晴翔さんが帰ってくるとうれしそうだ。

及川晴翔さん
「ばあちゃんからしたら、自分の子どもも含めて俺と兄ちゃんで2回目の子育てだったと思う。中学・高校ずっと迷惑かけたと思う」

夕ご飯は晴翔さんが大好きな豚汁にした。

及川晴翔さん
「いただきます。普段仙台にいて豚汁を食べること全然ないので、たまに定食屋に行ってセットで頼むくらい。でも、ばあちゃんが作ってくれたのが一番おいしい」

二十歳のつどいを前に6歳のときから育ててくれた祖母へ感謝を伝える。

及川晴翔さん
「あすで私、成人式ですよ」

祖母 五百子さん
「おめでとう」

及川晴翔さん
「ばあさんのおかげです。たくさん迷惑かけてきたけど、いつもありがとうね。稼ぐようになったら何か買ってやるから」

今の気持ちを素直に伝えた晴翔さん。
五百子さんへの思いやりがあふれていた。

そして、式当日(1月7日)。

震災発生当時は小学1年生だった旧友たち、ともに苦難を乗り越えこの日を迎えた喜びを分かち合った。

五百子さんが持っていたのは晴翔さんの両親・徳久さんと昇子さんの写真。凛々しい晴れ姿を見せていた。

式を終え晴翔さんは2人の名前が刻まれた刻銘碑を訪ねた。

及川晴翔さん
「きょうで人生の節目になると思う。震災とかいろいろあったが、二十歳(二十歳のつどい)を健康で迎えられたことを報告した」

将来は地元の魅力を発信する仕事につきたいという晴翔さんは、これまで支えてくれた人たちに感謝し決意を新たにしていた。

及川晴翔さん
「何かしらの形で地元貢献できたらいいのかなと思うし、ちゃんとしていたら今まで支援してくれた方々への恩返し、『自分は頑張っている』という姿を見せて安心させることができるかなと思う」

13年間の感謝から生まれた二十歳の誓い。
ふるさとへの思いが未来を照らしている。

WACOCA: People, Life, Style.