日本で起きた戦後最悪の学校災害の真実に涙が止まらない|外国人夫婦の日本一周バイク旅【宮城県】
日本で起きた戦後最悪の学校災害の真実に涙が止まらない。
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#外国人 #海外の反応 #コロンビア人 #東日本大震災
30 Comments
当時東京に住んでおり、震災3か月後に復興の仕事で石巻、女川、気仙沼に滞在していました。瓦礫の中に作った砂利道を走っていたのでどこを走っていたのかわかりませんがおそらく倒れた交番の脇も走っていたと思います。地震後初めて当地へ降り立った時、街中に打ち上げられた巨大な船も取り残されており、焼け焦げた車、鉄筋がむき出しになった建物、瓦礫以外何も残っていない街中でボー然と立ち尽くし、全く東北地方とは縁もゆかりもないのに自然と涙が出てきたのを覚えています。
その3年後、石川県へ引っ越し、今年、まさかまたあんな大地震を経験するとは夢にも思いませんでした。
動画にしてくれてありがとうございます。過去のテレビでしか見なかった震災この動画を見なければ一生知らないまま過ごしてたんだと思います。
なんて言えばいいのか分からないけど、大きく変わったことと何も変わって無いことが同時に存在してるのですね。人間の無力さと不屈の強さも感じます。オリさんカイトさんが今日教えてくれたことは大切な意味のあることですね。有り難う、そしてこれからも頑張って下さい。応援してます。
私は福島の津波があった場所や、ゴーストタウンとなっている原発周辺に行ったことがあります。例えようのない緊張感がありましたし、人の暮らしの跡がまだ残っている場所や、それらが本当にざっくりと津波にさらわれて何もない場所とがあり、涙が出ました。
大川小学校の被害は、折角学校の裏に山が有ったのにね!!
大川小学校の被害は、折角学校の裏に山が有ったのにね!!子供達が可哀想で仕方無い。
大川小学校の被害は、折角学校の裏に山が有ったのにね!!子供達が可哀想で仕方無い。
震災当日、生でヘリから映す津波から逃げ惑う多くの車をテレビで見ていました。
振り切って安全な場所までたどり着いた車や途中で津波に飲み込まれてしまう車など、映画などのCGかと思うような光景が今現実に起きているのが信じられませんでした。
その後ネット上に実際に被災された方々の撮った映像が次々とアップされ、まさに未曾有の災害だったと実際の恐ろしい映像で知ることとなりました。
私は当時、東京の国道6号線沿いに住んでおり、地震には遭いましたが家と会社が近いので物を片付けるだけで済みました。
国道6号線は東京から千葉を抜けて東北へ繋がっており、公共交通機関を使って都心へ出勤されていた千葉方面に住んでいる方々が電車もバスも使えないので帰宅のために大行列で歩いていました。その列は次の日の昼近くまで6号線の歩道両サイド共に途切れることなく続いていました。
逆に都心へ向かう人と車は少ないので、歩道は人が大勢歩いて車道だけが空いていた光景が奇妙でした。
東京でさえ大きな影響があったのに、東北は地震と更に津波まで襲ってきた訳ですから尋常ではありませんよね。
その後も各地で地震など災害がたくさん起きている日本。
忘れてはいけないけど、引きずったままでもいられない悲しい出来事が多すぎる。
私も昨年気仙沼や陸前高田の震災遺構を周りました。道路には津波到達地点の標識が所々にあり、こんなところまで津波が来たのかと
驚かされました。震災後に新設された道路が多くて、カーナビが役に立たない場所もありました。
亡くなられた方々のご冥福と、心に想像を絶する傷を負われた方々の幸せをお祈りいたします。
津波から3年後石巻に行ったんですが
波が2階まで到達してた建物を見て衝撃をうけたのを覚えてます
sorrow in his mind,so he living with his dauter.
we have to visit ,I wanna go with my daughter. Thank you .this media.
ori-san & Kaito-san 足を運んで頂きありがとうございました。心から感謝します。
地震発生時は工場で仕事をしてましたが、あまりの揺れに上司の逃げろ!という叫びと共に外に防塵着を着たまま脱出しました。
外は小雪が舞っており全てのライフラインが遮断され、なんの情報もないまま、遠くから爆発音が鳴り響き上空を多数の自衛隊のヘリが駐屯地から飛んでいく様子が見えました。
まさか津波で住んでいた宮城県の沿岸がほぼ壊滅しているとは思いもしませんでした。
仙台の石油コンビナートが爆発炎上していたのを知ったのは後のことです。
夜になり家は入れる状態ではなく、車で一晩過ごしましたが、カーナビのテレビで漸く津波の被害が映像と共に報じられてきました。
自分が良く行っていた道に渋滞した車列が津波に次々に呑まれていく光景は、もし休日だったら自分も間違いなく車列の一台に違いなかったと震える思いでした。
震度5を越える余震が絶えず襲ってくる状況は恐怖でしかありません。
交代番で休みだった同僚も犠牲になってました。
自分の人生観はあの瞬間に完全に変わりました。
人生は有限です。
幸運にも生き延びることが出来たからには無駄にできませんよね。
13年後の現状を生々しく伝えていただき感謝です。当日は学生を引率した課外学習で、バス移動中でしたが数百人の人々が流されているという
ラジオのニュースが信じられませんでした。記憶が蘇ってきました。大事な歴史的事実を発信していただくことは意義深いモノがあります。
涙無くして観れない貴重な動画😢
お父様の心に娘さんの魂が生きていると聴かされて救われた思いです。
合掌🙏
大川小学校を紹介してくださり、ありがとうございました。震災2年程経って私も行きましたが、震災の被害だけでは済まされない衝撃に今回の動画でも未だに思い起こされます。日本だけではなく世界の人たちにも見ていただきたいと思います。
日本一周の旅の安全を願っています。
いつも、動画楽しく見ています。
私も震災経験者です、
この動画を見ていかに風化しない事が大切か改めて教えて頂きました。
ありがとうございます。
身体に気をつけて頑張って下さいね!
ありがとうございました😊
広島・長崎同様、日本人が行くべき場所、行かなければいけない場所、そして未来でまた失敗しないように後世に伝える為に残さなければいけない
あの災害から13年、もう少しで14年が経とうとしていますが、時が過ぎるのは早いものですね。近畿でもあの日、震度3でした。大川小学校は、あの日のことを忘れないために今も残されているんですね。まだまだ震災の傷跡は深いです。また、輪島でも地震があってから間もなく1年が過ぎようとしています。ニュースや映像で見たものと、実際に自分の目で見てそこに立って感じたのとでは随分違うでしょうね。今また震災があった日のことを思い出しました。
ありがとうございます。
災害の悲惨さを伝えることは大切ですね。
うちも2014年の広島市豪雨土砂災害の被害に遭いましたが、同じく被害に遭った知人は個人で災害を伝える復興交流館(お好み焼き屋)を作り、その後広島市豪雨災害伝承館の設立に至りました。
規模は東日本大震災のものとは比較になりませんが、私も多くの写真や映像を提供しています。
自然災害相手には、人間も敵わないですね。
涙が止まらない
😭😭💦💦
私もその時栃木に仕事に行ってて被災、いざ避難所に行く時非常用に持っていたマグライトが役に立ちました。
あの日は曇りで停電していて車も通らず、避難所に行く道は真っ暗!で門灯も街灯も無いとこんなに暗いのかと思いました。
避難所に行っても灯すらありません、ライトを持っているのは係の人と私だけ。
だから、震災後家族一人に一個ライトを持たせました、先日は思いついて電池を交換、半年ほど期限越してましたね。
3月になると防災グッズが各地で販売されます、是非ライトも購入してください。
何でこんなこと言うかと言うと、南海トラフ巨大地震は必ず、私が(そしてこれを見ている人が)生きている間に来ると思ってるからです、非常用備蓄は当たり前なのでライトの重要性を言わせてもらいました。
Gracias por hablarme de Japón. Quiero que ustedes dos sean más felices porque este vídeo me hizo pensar mucho en la comida, la ropa y la vivienda de la gente que vive en Japón a su manera👶
Dios mío.. no tengo palabras.
Yo también viví el gran terremoto de Hanshin-Awaji en la ciudad de Nishinomiya poco después de regresar a Japón. Todavía lo recuerdo vívidamente. La situación en ese momento coincidió con la mía. Simplemente me di cuenta del terror de la naturaleza y la fuerza de la vida humana.
Y sentí que Dios siempre está velando por nosotros. La ciudad de Kobe tardó más de 25 años en reconstruirse después del terremoto. Actualmente, además de los desastres naturales, la vida de las personas en ciudades de todo el mundo sigue siendo destruida por invasiones militares. No importa qué desastres estén grabados en la historia,
Dios siempre nos da fuerza a los humanos y nos enseña el significado de vivir fuertes.
El año pasado, participé en un trabajo voluntario en Ucrania y sigo apoyando los esfuerzos de reconstrucción con amigos de otros países.
Con Dios velando por nosotros, siento que los humanos son verdaderamente fuertes.
¡Gracias por el maravilloso video! ❤❤️💕💕🤙🤙🤙
宮城に来ていただいてありがとうございました。実際に足を運ばないと感じえないことはありますね。
楽しいこと、悲しい出来事、私のまだ知らない日本をバイクツーリングを通して沢山教えてください。
コノ建物の強度に圧感です。
ありがとう。世界に広めて。地球の70%は、海だから。
子どもたちの未来を思うとこころがつぶれそうです。おとなの責任がとても大きいことに気づかされます。二度とくりかえさないように学び続けます。あらためてご冥福をお祈りします😢😢
何年か前に女川に活かせてもらった時港の水が透明でびっくりしました!帰りに丘の病院みたいな所に行ったら津波の到達地点って看板があってこんな所にまで来たんだって本当驚きました😢