兵庫県尼崎市のラーメン店「ぶたのほし」は2018年のオープン以来、行列が絶えない人気店だ。店主の髙田景敏さん(56)が手掛ける一杯を求め、最大19時間待ちになる。40歳からアルバイトでラーメン作りを学んだ髙田さんは、どうやって人気店を築き上げたのか。その経緯をフリーライターの川内イオさんが描く――。


店主の高田景敏さん

筆者撮影

「ぶたのほし」店主の髙田景敏さん



「人生の成功とは、お金持ちになること」と信じていた

兵庫県尼崎市に、最大19時間待ちのラーメン店がある。JR尼崎駅から徒歩10分ほどの場所にある「ぶたのほし」が、そのお店。ここのラーメンを求めて15時に並び始め、翌日11時の開店を待つ人がいるのだ。


ぶたのほしの店主、髙田景敏あきとしさんは、異色のキャリアを持つ。かつて億を超える資産を築いたが、のちに死すら意識するほどのどん底を味わった。その時、京都の有名店「無鉄砲」のラーメンに救われ、40歳にしてアルバイトを始める。9年間の修業を経て、50歳の時に開いたのがぶたのほしだ。


取材当日も順番待ちの行列ができていた

筆者撮影

取材当日も順番待ちの行列ができていた。なかには過去に4時間待ったという若者、大阪府岸和田市から1時間かけてきたという会社員もいた



なぜ、ラーメンのために19時間待ってもいいと思えるほど、ぶたのほしは支持されるのか? ヒントは、店主の歩みにある。


大阪市で生まれ育った髙田さんは、物心ついた時から「人生の成功とは、お金持ちになること」と考えていた。この思考は、父親の極端な教育方針で育まれた。不動産業を営んでいた父親は、ベンツやロールス・ロイスを所有していた。家族で出かける時、髙田さんだけがその車に乗ることを許されず、ひとり自転車で目的地に向かった。


「非常に厳しい父親で、よく殴られたし、怖い人でした。直接言われたわけではないけど、いい車に乗りたかったら自分で稼げるようになれということだったみたい」


「早く儲けたい」の一心で起業

高校生にもなると、「絶対に親父を超えてやる」という反骨心が芽生えた。当時、「最もお金持ちへの近道で、なおかつ親父と違う道を歩める」と考えていたのが株のディーラーで、一獲千金を目指して著名な相場師の豪快なエピソードを集めた『実録・北浜の相場師』などを読み漁った。高校卒業後、一浪して甲南大学の法学部へ。お金持ちへの最短距離を歩むために商法を選択し、就職活動では某大手証券会社から内定を得る。


しかし、大学4年生の時に、有名な経営者が主宰するビジネスサークルに入って気が変わった。1年間、友人とともにうまくいけば合法的に、スピーディーに、大金が手に入るビジネスモデルを学ぶ。そこで手ごたえを得て、大学卒業後、その友人と化粧品販売会社を立ち上げた。「早く儲けたい」一心だった。


サークルで教わった通りにビジネスを始めると、あっという間に大金が転がり込んだ。起業して3カ月で月収が150万円に達し、毎日のように大阪のミナミで飲み歩いた。しかし、爆速で稼いでいた若者グループが失速するのも早かった。組織が大きくなると、末端まで目が届かなくなる。一度、狂った歯車を軌道修正することができず、2年も経たずに会社を畳むことになった。


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