井上翔太
2025/01/24
(最終更新:2025/01/24)
第101回箱根駅伝総合優勝報告会であいさつする青山学院大の田中悠登(撮影・井上翔太)
年始の第101回箱根駅伝を大会新記録の10時間41分19秒で制した青山学院大学の選手たちが1月23日、東京都渋谷区の青山キャンパスで優勝報告会を開いた。今シーズンの主将を務めた田中悠登(4年、敦賀気比)は集まった学生たちに感謝の言葉を述べ、「年々ファンの皆さまが増えていって、たくさんの応援をいただいて、本当に幸せ者だなと感じています」としみじみ語った。
給水での”乾杯”や”セルフ実況”も話題に
昨年12月に同じ場所で開催された壮行会と記者会見で、田中は希望する出走区間に「10区」を挙げていた。「『大手町で笑おう』というスローガンを掲げてきて、最後は自分がゴールテープを切りたいなといったイメージを持っています」と理由を語り、10区のコースについてもイメージを膨らませていた。
実際に任されたのは9区だった。「監督の采配にはすべての信頼を置いているので、言われたときは『よし、じゃあ9区で頑張ろう』という気持ちになりました」。7区で2位に上がった駒澤大学に迫られたが、8区でチームメートの塩出翔太(3年、世羅)が区間賞を獲得。勝負を決する9区で、田中は区間2位の力走を見せた。「実際にちょっと(差が)詰まってきている中での9区だったので、自分がそこでしっかりと仕事ができて良かったなと思います」
横浜駅付近で給水を務めた片山宗哉(4年、愛知)とかわした〝乾杯〟や、鶴見中継所でアンカーの小河原陽琉(1年、八千代松陰)に襷(たすき)を渡す際の〝セルフ実況〟でも話題を集めた。報告会で田中は「区間賞よりもテレビに映れたかなと思います」と語り、集まったファンからの笑いを誘った。
復路の鶴見中継所で実況しながら小河原陽琉(右)に襷リレー(撮影・北川直樹)
大急ぎで先回りして、フィニッシュ地点へ
戸塚から鶴見までの23.1kmを走り終えてからは、慌ただしかった。「大手町で笑おう」というスローガンを掲げたからには、キャプテンである自分がその場にいないと、意味がない。つまりアンカーが走る約70分の間に先回りして、大手町のフィニッシュ地点に到着し、小河原を待っている必要があった。
「中継所から駅までが徒歩3分ぐらいで、何分発の電車に乗るから、12時何分にはここを出るという計算をしていました」と田中。クールダウンも何もせず、いざ電車に乗ると酸欠気味になってしまったという。「体調が悪くなったんですけど、それでもひとまず大手町には絶対に間に合おうということで、向かいました」。10区がスタートした頃、大手町のフィニッシュ地点付近は小雨が落ちていたが、小河原がやってくる頃になると、雨も上がり、雲も薄くなっていた。その天候変化が「この1年間のチームを表しているようだなと感じました」と田中は言う。
大急ぎで先回りし、大手町のフィニッシュ地点に到着した(撮影・藤井みさ)
「大手町で笑おう」というスローガンは、4年生のみんなで話し合って決めた。誕生の経緯を尋ねると、必ずしも「箱根駅伝総合優勝を笑おう」という意味ではないことが分かってきた。
「これまでの箱根駅伝を見ていると、2位とかで目標を達成できなかったら、ゴールで待ち受ける選手の顔がどうしても暗くて、『それは嫌だな』みたいになったんです。もちろん箱根を勝ちに行くんですけど、仮に負けたとしても、笑顔で迎えられるチームを作るにはどうしたらいいのか。やっぱり自分たちがこの1年間、チームとしてやれることをすべてやり切ったら、仮に負けたとしても、大手町で笑えるんじゃないか。だから、どんな結果であれ『本当にやり切って笑えるように、この1年間やっていこう』となり、スローガンになりました」
4年生は個性的な面々がそろい、チームの発足当初は、なかなか歯車がかみ合わなかった。出雲駅伝、全日本大学駅伝と本気で勝ちにいったが、いずれも3位。「後半シーズンは、『チームが勝てなかったら自分の責任なんじゃないか』といった気持ちで、寝られないときもあった」と田中は振り返る。ただ箱根駅伝総合優勝を飾り、様々なイベントに呼ばれて参加することで「本当に優勝したんだな」と実感するとともに、ぐっすりとたくさん寝られることで「やっと終わったんだな」と安心した。
原晋監督(右)は田中について「言葉を持っている」と紹介(撮影・井上翔太)
練習の傍らアナウンススクールにも
TBSの佐藤文康アナウンサーに「めざしてみたら?」と言われたことがきっかけとなり、田中は春から地元の福井放送でアナウンサーになる。そうと決めてからは、練習の傍らアナウンススクールにも通った。「これまでは陸上競技が自分の強みでしたけど、春からはまたゼロからのスタートになるので、まずはアナウンス技術や社会人として基本的なことを徹底して、次のステージでも頑張っていきたい」
社会人になってからの夢は目標はありますか、と聞くと「アナウンサーにも色んな形があると思っているので、今までにいなかったような新しく自分らしい……というのは、まだぼんやりとですけど思い描いています」と答えてくれた。卒業後も世界をめざして競技を続ける同期がいる一方、田中も未知なる挑戦を始める。
卒業後は自分らしいアナウンサーをめざして走り出す(撮影・浅野有美)
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