元ロシア連邦政府職員で、イギリスに亡命しプーチン批判を続けていたアレクサンドル・リトビネンコ氏が2006年、ロンドンで毒物を盛られた緑茶を飲み殺害された。彼は一体何を飲まされたのか。毎日新聞論説委員の小倉孝保さんの著書『プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの闘いの記録』(集英社新書)より、一部を紹介しよう――。
写真=時事/AFP
2007年5月23日、モスクワのマラト・ゲルマン美術館で、ドミトリー・ヴルーベリとヴィクトリア・ティモフェエワの画家による元ロシアスパイのアレクサンドル・リトビネンコを描いた絵画を鑑賞する訪問者
通常の検査では見つからない毒物
原因は特定されず、経過観察のため入院した。
「サーシャ(注:リトビネンコ氏の愛称)はぐったりして何ものどを通らず、呼吸するのにも苦労していました。普段とても元気で、病院にかかるのは初めてです。だから私もショックでした」(妻マリーナ)
リトビネンコは英国の制度に従い、かかりつけ医の登録は済ませていたものの、渡英以来一度も診てもらっていない。
「長男のアナトリーは小さいころ、予防接種を受けたりしましたが、サーシャが医者にかかるなんて想像もしていません。それが突然の入院です。丈夫だったので、回復を疑いませんでした。入院したので、これ以上悪くなるとは思わなかったです」
かつてロシアのスパイ機関に所属した亡命者である。しかも、直前にプーチンを批判していた。それを考えると、周囲の対応はあまりに緊張感を欠いている。救急隊も病院側も何ら特別な対応をしていない。マリーナは警察に連絡しようとは考えなかったのだろうか。私が確認すると、彼女は首を何度も振った。
「まったく考えなかったんです。何が起こったのかわかっていませんでした。最初に救急車を呼ぶと、家で休ませるよう言われました。だから、それほど大ごとだとは思わなかった。サーシャも警察への通報は考えていなかった。毒物が検出されれば、連絡したでしょう。症状だけで通報しても、被害妄想だと思われ、警察もまともに取り合わないでしょう」
それがポロニウムの怖さだった。通常の検査では見つからない。
ロシア政府やマフィアの関与を疑わなかったのだろうか。
「余裕がありませんでした。まずは危機から脱けることだけを考えていました」
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