各クラブでゴールを量産した“Jリーグ最強FW”マルキーニョスに、現地ブラジルで現役時代の裏話と現在の暮らし、日本人選手への印象を聞いた。〈NumberWebインタビュー/全3回。第3回につづく〉
1993年のJリーグ発足当時、強豪だったヴェルディ川崎は次第に成績が低下。東京ヴェルディと呼称を変えた2001年はファーストステージ最下位で、降格危機にあった。
クラブ関係者は、セカンドステージで盛り返すため、ブラジル人ストライカーを探した。そのレーダーにかかったのが、当時25歳のマルキーニョスと元ブラジル代表の“野獣”エジムンドだった。そんなマルキーニョス本人に移籍の真相と、Jリーグにフィットするまでの経緯を聞いた。
ヴェルディに提示された給料は当時の数倍だった
――2001年の8月から年末まで、東京ヴェルディへ貸し出されます。そのいきさつは?
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「Jリーグの中断期間中にブラジルを訪れていたヴェルディの関係者が僕のプレーを見て気に入り、コリチーバに期限付き移籍を申し入れたんだ」
――当時、Jリーグや日本に関する知識はあったでしょうか。
「全く何も知らなかった。でも、提示された給料はそれまでの数倍。どうせ短期間だから、と考えて日本行きを決めた。でもJリーグのレベルは、予想以上に高かった。運動量が多く、攻守の切り替えが速いのにも驚いた」
――生活面での適応は?
「当初はクラブの通訳以外とは話ができなかった。毎日、家とクラブの練習場を往復するだけ。食事が口に合わず、1人では買い物もできない。時々、地震があるのにも驚いた。ブラジルでは、地震は全くないからね」
――それでも8月にデビューし、3戦目の名古屋グランパス戦で初ゴール。10月17日の清水エスパルス戦では2得点をあげた。
「試合に出続けていたら、徐々に他の選手との連係が高まった。日本のフットボールの特徴にも慣れていった」
エジムンド? とてもワガママだった(笑)
――それでも、ヴェルディはなかなか勝てなかった。すると10月中旬、クラブはエジムンドを緊急補強した。
「ブラジルで一緒にプレーしたことも対戦したことなかったけれど、彼がどんなプレーをするかはわかっていた。すごい選手だから、一緒にプレーするのは容易だった」
――エジムンドはシーズン終盤の5試合でプレーしただけでしたが、効果は絶大。あなたと彼の活躍で、ヴェルディは辛うじて降格を免れた。
「エジムンドが来てから、いつも2人で行動した。相棒ができたのは、僕にとっても良かった」
――彼は「自分勝手で、言いたいことを言い、すぐに怒る」というイメージがあります。プライベートではどんな男でしたか?
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