1955年にTBSのオーディションに合格し、テレビ黎明期の生放送時代劇に出演し始める。

1959年のテレビドラマ『豹の眼』を皮切りに宣弘社制作のテレビ作品で主に悪役として活躍する。忍者ブームを巻き起こしたテレビドラマ『隠密剣士』でも第1部から出演しているが、1963年の第5部で演じた風魔小太郎が初の当たり役となった。1964年には映画『忍者狩り』で演じた敵方の頭目・闇の蔵人が、映画『隠密剣士』を手がけたプロデューサー・俊藤浩滋や監督・マキノ雅弘の目に止まる。任侠映画にも起用され始め敵役の常連となり、アクション映画では千葉真一の『激突! 殺人拳』(1974年)や志穂美悦子の『必殺女拳士』(1976年)などで主人公を追い詰める強敵・難敵を演じている。時代劇でも悪役スターとして数多くの作品に出演しており、テレビドラマ『水戸黄門』第5部(1974年)の鉄羅漢玄竜、『仮面の忍者 赤影』第1部・第2部(1967年)の甲賀幻妖斉などが代表的な悪役・敵役である。

対照的に善人役では映画『黒い画集 ある遭難』(1961年)の両脚を失った陽気な登山家、『喜劇 駅前弁当』(前同)の優しい駅員、『日本大侠客』(1966年)の主人公に協力的な博徒、『五人の賞金稼ぎ』(1969年)の一揆で直訴する百姓、テレビドラマ『快傑ハリマオ』第5部(1961年)でハリマオの仲間で正義感あふれる熱血漢・村雨五郎、『火の国に』(1976年)ではヒロインを陰に陽に支える好人物・長谷川社長に扮するなど、悪役・敵役に留まらず幅広い役柄を演じた。

1979年6月、脳内出血に倒れ、7月24日、心不全で死去。58歳没。1981年に欧米で封切り公開された映画『武士道ブレード』が遺作となった

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