兄の頼朝に殺され、悲劇の英雄とされている義経。その生き様は、人々から人気となり、次第に生き延びたという説が生まれていった。今回の動画では、義経が生きていた説をアイヌの王になった説、チンギスハンとなった説などを紹介する。そこには、江戸時代の日本の時代背景も大きく関係するものもあった。

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『戦犯裁判の錯誤』
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若林タカツグ/カッパエンターテインメント

◆大河ドラマ「鎌倉殿の13人」歴史解説シリーズ
①戦国並みに凄い大変革期!平安末期~鎌倉 魅力的な登場人物と時代背景

②源頼朝が殺されない深い理由 その利用価値と魅力 北条政子との結婚、以仁王の挙兵

③源平合戦の開戦 大庭景親との石橋山の合戦と鎌倉政権の樹立【治承・寿永の乱】

④源頼朝を支え鎌倉幕府の実権を握った尼将軍 北条政子とは【前編】

⑤長男の暗殺…北条政子 三代で途絶えた源氏 その真相【後編】

⑥石橋山の合戦 北条義時の兄 宗時の死 源頼朝を救った大庭景親の家臣 梶原景時

⑦頼朝の勢力拡大と鎌倉入り 石橋山で敗戦後どのように勢力を拡大したのか?

⑧頼朝の人心掌握術 吾妻鏡に書かれた実像 数百の兵が2.5万に

⑨頼朝の鎌倉入りと富士川の合戦 大庭景親と伊東祐親の最期

⑩源氏一族を徹底解説「頼朝の先祖・義家、源義経、木曽義仲、武田信義、源行家…など」

⑪富士川の合戦 頼朝討伐の一部始終平家軍を圧倒した武田信義

⑫源義経と頼朝 感動の再開 義経の活躍と5年後の悲劇

https://youtu.be/Z2JhCWd_prg
⑬非情な策略家 上総広常 大庭景親の打首と佐竹氏討伐 源頼朝の兄弟が鎌倉に集結

⑭北条宗時殺害の真犯人 平家劣勢の焦り 非道な寺院焼き討ちの理由

⑮源平合戦 木曽義仲の挙兵 横田河原の戦い

⑯源平合戦 俱利伽羅峠の戦い 10万人の大軍が壊滅 木曽義仲VS平維盛

⑰上総常広を殺害 源頼朝の巧妙策略 木曽義仲の主導権争いと後白河法皇の思惑
https://youtu.be/LATv2TifL_o
⑱源義経の奇策と木曽義仲の最期 源平合戦 宇治川の戦い 一ノ谷の戦い

⑲木曽義仲の嫡男・義高の最期、兄に嫌われた義経の苦悩

⑳源義経の最期に繋がる梶原景時の恨みと妬み 屋島の戦い 頼朝と後白河法皇の間に揺れる義経の動き

㉑壇ノ浦の戦い 悲しい安徳天皇の最期 平家滅亡へ 奮戦した平家の三武将
https://youtu.be/r5pEFYpXsCo
㉒なぜ粛清されたのか…義経が頼朝に嫌われた理由 平家滅亡の立役者の命運

㉓源義経の最期 鎌倉幕府成立と奥州逃亡の背景

㉔源義経の自害 頼朝の卑劣な罠 奥州藤原氏の滅亡 義経の息子を宿した静御前の命運

㉕源義経の首はどのように運ばれたのか?謎めいた数々の義経伝説を考察
㉖源義経が生きていた説 アイヌの王になった説の真相 なぜチンギスハンと云われたのか?

6 Comments

  1. 弁慶役の佳久創さんは、地元球団・中日ドラゴンズのかつての名ストッパー・郭源治さんの息子(次男)さんですよ。

  2. 八百万の神、これも
    八 が 入って、たくさんの
    神様と言う 意味ですよね😮

  3. 高木彬光の『成吉思汗の秘密』をお読みになれば考え変わるかも。
    それと、アイヌ人とはカムチャッカから千島に南下して来た民族と樺太人が南下して北海道にいた倭人を12,3世紀に侵略混結化した人達。その時期が義経と符合するのも確かです。
    おっしゃる様に明治維新の頃にアイヌを倭人に同化させようとしたのではなく、田沼意次の経済改革の時に既に海産物を輸出する為に松前藩に北海道南端を統治させたうえ択捉、国後を調査させています。しかも幕末には幕府の隠密間宮林蔵に樺太方面を調べさせ間宮海峡の発見にいたった。また、シーボルトを国外退去させたのも林蔵だが、シーボルトの日本と言う書物に間宮海峡と記され樺太が日本の領土の根拠になり第一次大戦後の領土確定の交渉での千島列島全島(本来の北方領土)と樺太の領土交換に繋がっていく事になる。
    詰まり、北海道は無論のこと樺太、千島列島少なくとも国後、択捉、歯舞、色丹は、元々倭人が原住民であり、侵略されっぱなしになっていたものを開国後国際法上での領土と主張し、アイヌ人の支配から取り返す為に屯田兵政策をおこなったのですよ。
    従ってアイヌ新法なる法律は、反日歴史学者の間違った歴史認識を鵜呑みにした政府の無知が産んだ税金を反日活動に寄付する困ったちゃん法ですね。

  4. 元寇来襲を鎌倉政権は撃ち返しましたが、大きく疲弊し、政権の基盤だった御恩と奉公の関係が成り立たなくなって崩壊に至ったことは実際のところでしょう.「これは義経の怨念による」という歴史ロマンからチンギスハン説が生まれたのかもしれません.

  5. 今回は左の女性の方の相槌を少し不快に感じました。ありえない!とか、嘘ですよね、はい次行きましょうなど、もう少しじっくり先生の話を聞きたかったところも有りましたが、それを妨げられたと感じました。聞き手役は必要ですが、もう少し先生が何を言わんとしているのかを汲み取ったり、市庁舎が何を聞きたがっているのかを考えて進行して頂けたらと思います。

  6. 昔の馬は今のよりも相当小さかったんじゃないですかね。あるいはだったら何人かの家来に担がせた可能性があるのでは!?