マスメディアの問題点とは何か。1月28日、原発不明ガンで亡くなった経済アナリストの森永卓郎さん(67)の遺稿『発言禁止 誰も書かなかったメディアの闇』(実業之日本社)より、一部を紹介する――。
写真=時事通信フォト
マイケル・ムーア監督の最新作「キャピタリズム」(CAPITALISM: A Love Story)の来日会見前にあいさつする経済アナリストの森永卓郎さん。字幕監修を担当した(2009年11月30日、東京都中央区の東証)
新聞記者だった父との思い出
私の父は、毎日新聞の新聞記者だった。だから、私は子供のころから父に資料を届けるといった雑用を通じて、毎日新聞本社に出入りをしていた。そのときの経験から、私のなかには、こんなジャーナリストのイメージが焼き付いている。
マスメディアは、1年365日年中無休の24時間操業で、夜討ち朝駆けの取材活動を続ける。その目的は、利権や癒着や腐敗といった権力の暴走を監視するためだ。そのため、ジャーナリストはプライベートを捨て、マスメディアには正義を守るための空気が満ち溢れている。
実際、私が訪れたときの毎日新聞社は、休日でも、どんな時間帯でも記者たちが忙しく動き回っていて、記事を書く記者たちが吐き出すタバコの煙が充満していた。
ところが、最近の新聞社は、ガラリとその姿を変えてしまった。土休日には正面玄関が閉じられ、なかで働く人もとても少ない。喧噪も、タバコの煙もなくなり、まるで一流企業のオフィスのような感じになっているのだ。それは、新聞社だけでなく、テレビ局でもまったく同じだ。
ジャーナリストの「小市民化」
一体何が起きているのか。私は、財務省や首相官邸の圧力に屈したジャーナリストたちが、それまで抱えてきたジャーナリスト魂を捨て、自らのプライベートを優先するという「小市民化」が起きているのだと考えている。
実は、いつの間にか大手メディアの社員は、世間と比べて大変な高給取りになってしまった。新聞なんて儲からないと思われるかもしれない。確かに購読料だけをみればそうだが、新聞には広告が掲載される。景気がよかった時期には、全面広告一つで1000万円を超える大きな広告収入が得られた。テレビの場合はもっと極端で、キー局で15秒のCMを1回流すだけで、100万円を超える放映収入が得られた。しかも、地上波の民間放送局は5局しかないから、価格競争が働きにくい。その結果、地上波各局には潤沢な資金が流入し、制作費も豊かだった。私がニュースステーションのコメンテータをしていた2000年代前半、ニュースステーションの一日当たりの制作費は6000万円とも言われた。本当かどうかは分からないが、現場が巨額の予算を持っていたことは事実だ。
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