河内神社(こうちじんじゃ) 広島市佐伯区五日市町上河内359-1 河内総鎮守・総氏神「河内神社」 #広島 #広島市 #神社 #銀杏
河内神社(こうちじんじゃ) 広島市佐伯区五日市町上河内359-1 河内総鎮守・総氏神「河内神社」 #広島 #広島市 #神社 #銀杏 20241119 2 @akibingo
河内神社のご由緒
正面参道石鳥居と社号碑
河内神社は、河内地域・旧各村内にあった8社を、明治40年に合祀・統合し、河内総鎮守・総氏神「河内神社」としてまつられました。
8社の中には、千百年以上前の延喜3年(903)にまつった神社もあり、江戸時代の社殿再建の時の棟札も残っています。
河内神社は、古く8社の頃から、河内(上河内・下河内・上小深川・下小深川・藤の木・河内南〔彩が丘〕)の人々に崇敬され、親しまれてきた地域の守り神です。
■ 氏神様・河内神社と旧各村8社
氏神社・氏神様
一の鳥居
河内神社こうちじんじゃは、広島県広島市佐伯区・五日市に鎮座しており、古くより河内地区(上河内・下河内・上小深川・下小深川・藤の木・河内南〔彩が丘〕)の方々によって支えられ、親しまれてきた氏神社うじがみしゃ・氏神様うじがみさま※です。
氏神様は、身近で私たちの生活を見守ってくださる地域の守り神です。昔から私たちは神社を心の頼りとしてきました。
(※氏神社・氏神様とは、全国各地に地域の守り神として地域ごとにおまつりされている各神社のことです)
旧各村8社と河内神社
村社河内神社
大字おおあざ旧各村内には古くから、八幡神社はちまんじんじゃ(上河内中郷)、佐古神社さこじんじゃ(上河内下城)、客人神社まろうどじんじゃ(上河内魚切)、日吉神社(下河内〔現御旅所おたびしょ・通称権現さん〕)、新宮神社の3社(下河内白川、上小深川、下小深川)、大宮神社(上小深川野登呂のとろ)の計8社がありました。
これらの神社を明治40年(1907)に政府の指導によって合祀・統合して、河内の産土神社うぶすなじんじゃ、総氏神として「河内神社」と改称しました。
■ 現在の河内神社と創祀
現在の本殿と境内
本殿と拝殿
現在の本殿は、合祀した旧佐古神社の境内地に、旧日吉神社の本殿をその当時に移築したものです。また同時に、拝殿・幣殿を新築し、神社境内・参道の整備を行い、現在の姿になりました。
(詳細は境内石段の脇の神社合祀の記念碑に刻まれています)
河内神社旧8社の創祀
河内神社の各村旧8社の神社の中で最も古いものでは、延喜3年(903)に鎮座したと伝える神社があります。そのご祭神は交通安全・厄払いの神様・猿田彦命さるたひこのみことです。はるばる伊勢(三重県)の椿の荘より、現在も河内神社の神主を務める山田家の先祖・清明次判が、神様を赤牛に乗せてお連れし、各地に滞在ののち、河内地区の野登呂に鎮座されました。広島藩の公式文書『芸藩通志』にも記録があります。
江戸時代の享保6年(1722)に、八幡宮の社殿を再建したときの棟札も保存されています。そのほかの旧各社の創祀は中世の頃と考えられています。
河内地区と河内神社
参拝
遠い祖先の頃より、尊いご神徳を人々に授けられ、河内地区の守護神、鎮守の神として人々から広く崇敬されています。