砥堀にある大歳神社から増位山自然公園(随願寺)までハイキング【兵庫県姫路市】

兵庫県姫路市砥堀にある大歳神社から姫路フィルムコミッションが支援した映画ルート29のロケ地増位山自然公園をウォーキングしてきました。

目指すは増位山随願寺でが、大歳神社から、まずは権現山古墳を散策して、その後、そうめん滝方面へ

近畿自然歩道を増位山随願寺への登り口までウォーキングし、付近のそうめん滝を撮影

ここからはハイキング

糸の細道、有明の峰を通り、増位山梅林の梅の蕾を確認し、増位山随願寺へ

増位山随願寺はインドの阿育王ガイド仏舎利を八万四千に分け、空高く投げられた内、二つの舎利が日本に到着

一つは琵琶湖の東、石塔寺の地に、もう一つは播磨の増位山の地に到達したと云われる仏舎利飛来の霊地である。

その後、聖徳太子が仏教の師僧である高麗の僧慧便をして止住せしめたことに始まる。

元はここより南の平地である伊伝居にあったようですが、聖武天皇が天平七年(735年)に僧行基が伊伝居の地に宿泊されたとき、夢に薬師如来ガイド現れ、今の地、増位山上に寺を建立するように告げられ、朝廷に上奏、薬師如来を刻み、安置する。

これが増位山での随願寺の基となる。

また、増位寺とも云われていました。

奈良時代は南都六宗の一つ法相宗でしたが、仁明天皇ガイド承知元年(834年)比叡山の法勢法師が勅命を受け、天台宗に改宗し、このときに増位山随願寺医王院の勅号を賜る。

平安時代は寺領も多く、伽藍も多数あり、鎮護国家の勅願寺としての威容を誇っておりました。

この時代は播磨地方が天台宗の隆盛時代となっている。

ここ随願寺をはじめ、書寫山圓教寺、法華山一乗寺、八徳山八葉寺、妙徳山神積寺、蓬莱山普光寺は播磨六寺と呼ばれている。

また、随願寺は朝廷の尊崇厚く、法皇の臨幸や勅使の来山等も多く、そのたびに、お堂を建てたり、改築が成される。

ところが、天正元年(1573年)三木城主別所長治の兵乱によって焼き討ちにあい、諸堂すべて焼けてしまいましたが、諸仏堂をもって、岩端あるいは別所町佐土に避難

天正十三年(1585年)豊臣秀吉が諸堂を建立、寛文八年(1668年)姫路城主榊原忠次公により、現在の本堂(金堂)が建てられる。

江戸時代に於いても寺門隆盛し、三十坊を数えておりましたが、明治時代、神仏分離令により、廃仏毀釈が起こり、寺勢も衰徴していきました。

現在、姫路フィルムコミッションが支援した映画「ルート29」の啓発横断幕を本堂に吊るしてくださっていました。

みなさん、もうすぐ増位山梅林の梅が見頃を迎えますので、是非とも増位山随願寺を訪れてみてください。

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