島根県出雲市 たたら製鉄で一大産業を築いた田儀櫻井家が去った理由

【ナレーション有り】田儀櫻井家は、江戸時代の初期に可部屋櫻井家初代直重が、現在の奥出雲町から出雲市多伎町奥田儀へ来住し、たたら製鉄業を起こしたことが始まりとなっています。直重の嫡子である直春を田儀櫻井家初代とし、12代直明が明治23年(1890年)にこの宮本(奥田儀)の地を後にするまでの約250年間続きました。

田儀櫻井家本宅跡は植林されて建物はありませんが、田儀櫻井家墓地には一族のお墓が並び圧巻でした。隣には菩提寺の智光院があり、石仏が見守っていました。動画の最後に出てくる可部屋初代直重の五輪塔の台石に描かれているカニのような模様は「蓮弁文」です。

現地に設けてある案内看板には、明治15年(1882年)3月17日、大火事によって櫻井家の本宅が全焼していたことが記載されています。そのことが原因で、田儀櫻井家は宮本(奥田儀)の地を去ることになりました。

【史跡田儀櫻井家たたら製鉄遺跡 調査整備報告書1 2020年】一部抜粋
現在の田儀櫻井家のたたら製鉄遺跡は、地元の保存会の協力によって良好な状態に保たれています。2003年の調査研究により、その歴史的価値が認められ、2006年に国指定史跡となりました。保存修理事業が2013年度から着手されました。

金屋子神社や智光院は、遺構の中でも特に倒壊や損壊が著しい状況にありました。文化的な価値を保存するために早急な対応が必要であったため、保存管理計画と並行して保存修理が実施されました。

【宮本史跡保存会】
1993年に「宮本史跡保存会」が結成され、保護保存活動を行っています。その内容は、田儀櫻井家の歴史を伝えるパンフレットの作成、宮本に残る民俗資料の展示会、毎年5月に開催される金屋子神社での祭りの開催など、宮本への想いを広く伝える活動です。

【智光院】
田儀櫻井家の菩提寺である智光院は、10代多四郎直敬が1821(文政4)年に現在の佐田町一窪田から移転勧請したものです。1955年には地元の人々により、屋根替えを中心に修理が実施されています。2007年に屋根の解体を伴う屋根替えや腐朽柱の代替えなどの大規模な保存修理が実施され、現在の智光院となっています。

【田儀櫻井家本宅跡】
田儀櫻井家本宅跡は、東西約70m、南北約40mの長方形の隅に張出部を設けた敷地が現存しています。北側と西側は、宮本川の岸に揃えてあり、東側と南側は、山腹を大きく切り込んで整地されています。いずれの面も2段以上の石垣が組まれ、崖面に5段の石垣を組み上げています。比高は約15mあります。

【金屋子神社】
製鉄を司る金屋子神(金山彦命と金山姫命)を祀っています。社殿の位置は、標高137.2m。参道の石段は全部で110段、高低差25m。境内には、拝殿と本殿があり、本殿に納められた数枚の棟札によると、この神社は4代宗兵衛清矩によって元文元年(1736)に造立され、今の本殿は天保15年(1844)に11代直順によって建立されたことが本殿の棟札から分かっています。

本殿の彫刻は江戸末期の装飾的な技法を取り入れいます。なお拝殿は昭和31年(1956)に建てられたもので、それまでは本殿だけで拝殿はなかったと思われます。1862(文久2)年と1950(昭和25)年に屋根の葺き替えがあったことが分かっています。さらに、2007年に屋根の葺き替え工事、2019年に拝殿の保存修理工事が行われました。

【1890年~1930年代 田儀櫻井家の衰退から廃業】
田儀櫻井家が奥田儀を去るのは明治前半期の1890年代で、衰退して廃業することになります。

【山内集落】
山内集落は、たたら製鉄従事者の住居でしたが、1997年に無住となります。

【家紋について】
可部屋櫻井家の家紋は「中輪に抱き柏」
田儀櫻井家の家紋は「丸に立ち梶の葉」

9 Comments

  1. 昔から出雲地方は製鉄業が盛んでしたからね。それにしても相当に大きな敷地跡ですね。大名を凌ぐと言っても過言ではないかも…当時程の勢いはないかもしれませんが、今でも海水客(キララ多伎)や無花果、温泉が有名で、自分も毎年のように多岐には訪れていますが本当に良い場所です。

  2. 古いお墓や神社がしっかりのこっている事に感動しますね。
    個人的には五段の石垣に圧倒されました。
    蓮弁紋、少し変わった形で珍しく思います。歴史ある場所でひっそりしてるのが神秘的でした。
    撮影お疲れ様でした。😊

  3. こちらの保存会の方々にとって、とてもよい動画となりましたね。
    その地を離れた方の子孫にとっても、懐かしくまた感慨深いものとなるでしょう。
    大火事が発生しなければ、今も続いていた事でしょうね。

    苔むした階段のロープ。
    VSさんには必要ないけれど、管理をしたり参拝したりする人には必要ですね。私などがっちり両手で掴んで登りそうです😅
    今回もお疲れ様でした。
    とても良い動画でした。

  4. たたら製鉄には大量の炭が必要なので、周りの山はハゲ山に近かくて、今の景色とは全然違っていたのでしょうね。山の砂鉄を採取する事もしてたようなので、今より環境は悪かったと考えられますね👍

  5. タタラ→タタール文明なのですかね。
    最後のお墓の家紋珍しくて気になりました。
    山と桃と波でしょうか、、、。

  6. 大火が無かったら、今もこの地で続いていたかもしれませんね。二つの祠に置かれた小さなお稲荷様がいくつもあったので、子孫の方か関係者の方がここを訪れているのでしょうか?
    整然と並んだ墓石に、製鉄の職人魂の矜持を感じました。

  7. 昔の屋敷跡が色々残ってますね✨スゴイ所見せてもらってありがとうございます😊最後のあの家紋気になりました😁😁🙏🙏

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