祭壇には愛用のギターや、大好きだった埼玉西武ライオンズのユニホーム。
そして、現地で感動を伝え続けた数々のオリンピックの取材パス。
その中央には、ベースを手にカメラを見つめる小倉さんの大きな遺影が。
2024年12月9日、膀胱(ぼうこう)がんのため77歳で亡くなった小倉智昭さん。
歯に衣(きぬ)着せぬ発言で話題を集め続け、22年間にわたりフジテレビの朝の顔として「とくダネ!」のメインキャスターを務めました。
17日午後、東京都内で「お別れの会」が行われました。
会場には、生前、小倉さんと親交があった多くの著名人も駆けつけました。
進行役を務めたのは「とくダネ!」で長きにわたり共演し、小倉さんの一番弟子と自認する元フジテレビアナウンサーの笠井信輔さん。
笠井信輔さん:
小倉さんに天国から「笠井くんさあ」と言われないように、きょうはしっかりと勤め上げさせていただきたいと思っております。
小倉さんと同い年で親友だった、俳優の寺尾聰さんが弔辞を述べました。
俳優・寺尾聰さん(77):
小倉さん、小倉くん。周りに誰も人がいない時には「おい小倉」「なんだよあきら」、そんな時もありました。彼は以前から病を抱えて、真っ正面に向かって戦ってました。突然連絡をいただき、僕は呼ばれて君のお宅へお邪魔しました。あまり長居もできないので帰ろうと思って、なんて言って帰ればいいのか混乱しました。結局、右手を少し上げて君の顔の前に出して「じゃあまたな」、そう言うと、君はゆっくり僕に手のひらを見せて「うん、またな」、そう言ってくれました。誰にも周りの人に心遣いがあって、優しくて頑張り屋で、力強い男でした。素晴らしい友達でした。小倉智昭くん、じゃあまたな。
続いて弔辞に立ったのは、テレビプロデューサーのデーブ・スペクターさん。
デーブ・スペクターさん:
かけがえのない小倉智昭さん、亡くなられて3カ月が経ちました。今ごろであれば、大好きだった西武ライオンズを楽しみにしていたと思います。小倉さんとは「とくダネ!」で初回から最後まで、22年間ご一緒していただきましたね。きょうの小倉さんはニュースをどうきるか、ハラハラする番組名物のオープニングトーク。放送後は、毎日が炎上のメリークリスマス。毒舌に聞こえても、実はとても優しい人でした。アドバイスや注意された人もみんな得になったはずです。天国で時々、伝説の豪華な忘年会をやってください。周りをハッピーにしていただいて、本当にありがとうございました。お疲れさまでした。
続いて献花が行われ、出席者たちが小倉さんとの最後の別れを惜しみました。
番組共演をきっかけに交流を深めた二宮和也さん(41)は、「出会ったことでいうと、グループ結成の1999年からなので、もう25、26年は一緒に。お父さんのようなというか、もうお父さんでした。(Q. 自慢の息子だった?)いやいや、心配かけっぱなしだったと思います。だから最後まで顔見せろってなったり、飯行くぞってなったり、そうだったんじゃないかなと。もういい大人なので、これからも頑張らなきゃなと。それが一つ増えたなと思います。本当に、小倉さんに怒られないように頑張って働きます」と話しました。
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